2019年12月26日木曜日

クリスマスカード

クリスマスカードが、8通届いた。こちらから一通も出していないので、毎年、数が減っているが、それでも、律儀にくれる友人たちがいる。
 そのひとり、イスラエルのヌザット・カザッフだ。彼女との関係は、旧い。一番はじめに会ったのが、1961年だった。ノルウェーのベルゲン。アジア・アフリカの青年たち20名くらいだったか、ノルウェーの労働党の招待でよばれたチームで、ヌザっトはイスラエル代表だった。帰国後も、カード交換はしていたが、そのうち、不通に。ところが、1968年にはじめてのイスラエル、留学したわたしに、突然やってきた彼女、「イスラエルで会えるなんて」、と驚かした。
 ヌザットは、エチオピアからのユダヤ人で、顔かたちは、アラブ系で、旦那のルーベンも、髭のアラブ男性。彼女は、ヒストダルートと呼ばれた労働組合組織のアラブ女性局の局長、旦那は、新聞局の局長だった。その後、ヌザットは、クネセット(国会)の議員になり、イスラエル国会で、主に消費者問題で活躍した。
 留学後も、なぜか、公私にわたり、イスラエルをなんども訪問する機会があり、その都度、会いつづけた間柄。こちらが引退、隠居してからも、3、4年にいちどは、会ってきた。夫妻で、日本にきた時もあった。たしか、世界消費者大会が東京で開催された時、旦那同伴での来日で、浅草の寿司屋に招待したが、その時、旦那がナマのさかながダメなことをはじめて知った。かんぴょう巻きをもくもく食べながら、ヌザットと日本の友人が、
おしゃべりに熱中している様子を、楽しそうに、ニコニコ、聞いていた。
 その旦那、ルーベンが病気と聞いて、イスラエルへ。2001年1月。自宅療養中で、意識はしっかりしていたが、フィリピン人の介護師女性がきていた。ヌザットは、自宅の一部屋を事務所にして、アラブ人の女性たちの相談役をしていた。中東情勢が収まらず
アラブとの問題を抱え続けるイスラエル国内で、さまざまな困難を抱えるアラブ系の女性たちの相談相手をしている。
 楽隠居を決めて、日々を暮らしている自分、これでいいのか、ちょっとだけ考えた。

 

1 件のコメント:

  1. 我が家の息子一家は昨年からノルウェーのベルゲンに在住しています。1961年のベルゲンはどうだったんだろう。来年は私も行ってみるつもりです。

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