もういくつ寝ると、の頃になりました。
で、この一年、どうだったかな、と考えてみることに。
4月、ウイーンへ行ってきました。友人のお見舞いです。彼女の名前、フリッツイ。同じ年ごろで、ウイーンの高齢患者施設に入院している。お互いに、先が短くなってきたので
会っときたい、とメールをしていたところ、スポンサーが現れ、旅費を出すとの申し出が。自身もフリッツイと知り合いだったシンガポールの友人から、東京~ウイーン間の航空券が贈られてきた。たまたま全日空が羽田~ウイーン間を就航したばかり。行ってきました。
フリッツイとは、かれこれ50年以上になるが、旧い友人のひとり。最初にどこで会ったか、忘れたが、オーストリアのTV局の音楽担当のデイレクターで、あの有名なカラヤンの担当でもあった。カラヤンが、楽屋では、かなりワンマンだったという話を聞いたことがあった。彼女のアパートは、ウイーンの遊園地のそばで、ヨーロッパへ行った時、アフリカへ行った時など、ちょくちょく泊めてもらった。ニューイヤーコンサートも、チケットをとってもらい、二泊三日の旅
でいったことがあった。
フリッツイも、10日間ほど東京のわが家に泊まって、日本の観光を楽しんだこともある。
入院中といっても、鉢植えの木、花がいっぱいのかなり広い部屋で、鼻からのくだを除けば、元気な時とそうかわらない様子だった。5日間、ウイーン滞在期間中、毎日、会いにいった。日本でいちばん有名な歌、と教えた「娘さんよくきけよ、山オトコに、掘れるなよ」を、ふたりで合唱したり、施設のレストランに注文して、シュニッツエル料理を食べたり、共通の友人たちの噂話をしたりして、過ごした。
最後の日、もう会えないかな、とちらっと思いつつ、でも
「じゃあ、また来るよ」、と言っていた。こういうシーンって、たまらない、ほんと。
ウイーンでは、やはり旧友の、元国連の職員だったインドネシア人の奥さんと、ドイツ銀行のアジア担当をリタイアしたばかりのビルマ人の友人宅に泊めてもらった。
隠居の海外旅行、カネを使わず、友人が頼りの旅だった。
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