韓国の旅 10月20~24日
4月に山陰の乗り鉄の際に、境港へ行った。ここからロシアのウラジオストック、韓国の東海(トンヘイ)へ船で行けることを知った。7月のウラジオストックへは、日程の都合で成田から空路だったが、韓国は、船でと決めていた。海外へは、これまで、成田や、羽田から飛行機でという旅だったが、船で出国してみたかったのだ。今回の旅の第一目的は、飛行機に乗らず、海路で往復する旅。
10月20日(土) 19:00 境港出発 船中泊
10月21日(日) 09:00 韓国東海港泊
東海駅~江陵駅経由~ソウル駅へ
16:29 ソウル駅着 ソウル泊
10月22日(月) ソウル泊
10月23日(火) 07:50 ソウル駅発~釜山駅へ
10:07 釜山駅着
15:00 釜山港発 船中泊
10月24日(水) 10:00 大阪南港着
「ゲゲゲの 」境港
水木しげるの出身地境港へは、東京駅から新幹線で岡山へ、ここから特急で米子へ。境港線(JR)で終点の境港駅へ。神明町から約8時間。ちなみに、境港線の駅には、「ゲゲゲ 」に出てくる妖怪の駅名がついている。駅前には、約1キロ、キタロードなるものがあって、妖怪のモニュメント、妖怪まんじゅう、妖怪アイス、妖怪グッヅ店がずらっと軒を連ねており、週末の観光客がぞろぞろ歩いていた。「ヨーカイ」、「ソーカイ」。
ロシア国籍船イースタンドリーム
境港からは、沖ノ島行きの船も出るが、ロシア行きも、韓国行きも、ここからではなく、バスで20分ほど乗った港の幅先端が船着き場。この日の乗船者は、9週間の日本国内旅をしたというドイツ人カップル(大荷物4個)、ロシア人若者男女4名、時間ぎりぎりに到着したバス2台の韓国人団体客、チャリ旅の韓国人男性6人組、欧米系らしい中高年のひとり旅男性、船にご一緒する客、こんな感じで、100人前後。時間になり、出国手続きの列に並んだが、パスポートをちょいと覗いただけの超簡単なもの。岸壁の船は、予想していたより大きい(2万トン)。ロシアと韓国を行ったり、来たりしている船だ。
乗船が、なんと縄梯子。ユーㇻユーラ揺れる、足を乗せた板きれの下に地面が見える。
大荷物を持った乗船客たちには、韓国人らしいスタッフが手伝っていた。
船室は、2段ベッドで8名部屋。枕、毛布、シーツ付。幅も高さも、シベリア鉄道よりずっと広い。ドイツ人カップル、欧米系男性の4名だったので、ゆったりだった。トイレは、さすがにきれい、シベリアよりずっときれいだった.船内には、免税店、コンビニ(駄菓子、カップ麺など)、サウナもある。免税店には、ロシアのみやげも陳列していた。食堂もあるが、持ち込みのパン、コーヒーですませた。船内では、日本円、米ドル、韓ウオンが通用可。
ま夜中にトイレに起きた時、デッキに出てみたら、船は停泊中。遠くに灯りが見えた。
もう韓国領なのか。時間つぶしをしていたようだ。
朝、6時32分、水平線の下から、そろそろ上がってくる「太陽」を、しっかり鑑賞。
東海港についた
船は予定の時間に到着。ここは韓国。入国手続きが、韓国人優先で、日本から持ち込みの大きな荷物の検査で1時間ほど待たされた。手続きは、簡単だったが、出た時には、人はほとんどいなかった。港湾の銀行で換金をしていたら、もうひとりの乗船者の日本人女性に会った。あちらも、日本人乗客は自分だけかと思っていました、と。ここからウラジオストックへ行くとのことだった。
外へ出たら、客待ちのタクシーが数台停まっていて、どこへ行くのか、というので、東海駅、というと、ひとりの運転手が、「乗りなよ」、と。持参の地図を見せながら、歩いて行くので、と断った。と、別のタクシードライバーが、「そうだ、そうだ、歩いていきなさい」、といい、手にした地図の駅を指でさして、15分くらいだよ、と。いい天気、韓国でも北の地なのに寒くない。道路も整備しており、しかし、ほとんど車は、走っていない。人の姿もない。静かな地方都市っていう感じ。日本の地方と変わらない、いいね、とひとりごと。と、後の方から、車のクラクション。さっきのタクシードライバー。丸顔、首に金のネックレス、薄い色の眼鏡、紫色のダウン、お洒落さんドライバー。「まっすぐ行って、線路が見えたら右に行くと駅だよ」、と大声で叫んで走っていった。
駅が見えてきた。と、あのタクシードライバーさんが、手を振って迎えてくれた。駅舎の入口まで連れていってくれて、予約しているか、切符持ってるか、と聞くので、切符を見せると、1時間あるね、あと10分で来る列車もあるよ、と教えてくれた。それなら、と駅窓口で変更手続きをしたら、特急から普通便に変更したので、お金が戻ってきた。タクシードライバーに、報告。と、改札を出る際に、あたたかい缶コーヒーを、「プレゼント」と言って手渡してくれた。「カムサハムニダ」、韓国語で御礼。なお、彼とのこの間の会話hが、日本語、英語、韓語の片言だった。充分意思疎通が出来ていた。
江陵駅からソウルへ
東海駅から江陵駅(カンヌン)までは、海岸すれすれを走る路線、江ノ電みたいな路線で、海の向こうは日本海、陸の続きは、北朝鮮、その先は、ロシア。韓国人乗客が写真を撮っていた。
江陵駅は、冬季オリンピックのあった平昌(ピョンチャン)のために新設された駅。駅の外には、オリンピックのモニュメントがあった。駅は、ま新しく、空港並みの諸施設だ。この駅から、ソウルまで2時間、釜山までの直行便もある。駅待合室のベンチだけでも500人分くらいある。構内には、わかめ、するめ、貝などのご当地特産品の店もあった。日本のデイカウントショップ、ここではstory wayが、駅中(えきなか)に3店もあった。おにぎりを買ったら、中味は、キムチ。ここは、韓国だ。
ソウルへの列車は、日本の新幹線。とにかく、トンネルが多い。スピードも、乗り心地も、新幹線。たまーに車窓の視界が開くと、田んぼや、畑、人家などが、下の方に見える。つまり、新幹線は、平地より高い所を走っているのだ。車内座席は、日本は、通路の両側に2席、3席タイプだが、韓国は、1席、2席タイプ。アテンダントという男性が、飲料水のペットボトル、スナック菓子の小箱を配っていた。車内販売なし。自動販売機なし。駅のホームは、各列車の乗車口より低く、大荷物を持ち上げるのが大変。なお、新幹線停車駅には、ホームドア―が設置してあった。発車は、小さな音で、ピー、ピー、ピー
というだけ。各座席毎に充電差し込み有。だからか、パソコン操作の客が少なくない。
ソウルで二泊
韓国訪問は、なんどもあったが、プライベート訪問は、たしか1968年だった。鍾路区だったことが判明。泊まったのは、YMCAで、韓国人友人の案内で行った「パゴダ公園」。予約していたホテルが、鍾路区だったので、22日朝、周辺を歩いていたら、公園があり、TAPGOL公園との表示。入ってたら、石の説明板があって、なんと旧名が「パゴダ」だった。1913年3月11日、学生たちがこの公園に集まり、朝鮮独立を宣言したという3.1運動で知られる歴史的な公園。当時のソウルは、京城で、日本統治下にあり3.1運動が、この公園から全国に広がった。園内の歴史的な建物六角堂の横のベンチで
2時間ほど沈思黙考。日韓関係の今、北朝鮮のこと、など、歴史的なパゴダ公園で、考えさせられた。ソウル訪問のハイライト。
夜は、このあたりは、繁華街。屋台が1キロほど続く、賑やかな通りとなる。あめ横、
渋谷の繁華街みたいな通りで、韓国人だけでなく、観光客で賑わうストリートだ。欲しいモノ、買いたいモノもなく、はやばやとホテルへ戻った。
昼は、パゴダ公園のフェンスの裏側が、「おばあちゃんの原宿」といわれている巣鴨の
韓国版「おじいちゃんのパゴダ」風景だった。50人、60人くらいの高齢男性たちがたまっていて、ゲーム盤に興じる人たち、自動販売機の焼酎(?)を、おでんの串刺しで食べる人たち、なんとも楽しそうな風景だった。日本には、いや東京には、こんな所はない。ソウルが、東京よりも高層ビルだらけで、道路は、終日渋滞、だから大気汚染のビッグシテイ。朝の通勤時、着飾って、さっそうと歩く女性たち、かっこいい。テレビの人気アイドルのプロマイドの店に行列ができている。繁栄する韓国には、まさに目を見張るばかりだったが、別の面も見えたソウルだった。
ソウルから釜山へ
朝いちばんの列車で、釜山へ。早朝のソウル駅、早くから通勤客が地方から乗ってくる。韓国の駅には、改札口がない。車内での検札もない。切符は、券売機で買うが、薄い紙きれ風の切符、有難みが感じられない。無賃乗車、ないのだろうか。
ソウル駅のホームへの入口には、いわゆる駅弁店が5軒。日本のホットモット店もあった。300~1000Wが駅弁の値段。2時間で着いてしまうので買わなかった。
途中で停車の駅、太田、大邸で、ネクタイ背広のビジネスエリートたちが下車。韓国でもこうした男性たちが、新幹線通勤をしているのだ。車内アナウンスは、韓語、英語、釜山近くでは、日語もあった。この路線は、トンネルが少ない。団地、工業地帯などが多い
釜山駅は、古いタイプの駅。天井も高くない。構内店も少ないが、ここでサンドイッチを買った。駅前の大通りを渡った向うが、釜山港だ。
釜山港から大阪港へ
釜山港の乗船ターミナルは、コンビニが1軒、船会社の窓口事務所、それしかなく、体育館なみのだだっ広い建物。出航予定のスケジュール表があり、対馬、福岡、唐津、下関、大阪、となんと、本日の午後便の全てが日本行き。釜山からは、2時間、3時間で着いてしまう日本。韓国は、ほんとうに近い国だというのを実感した。
午後2時乗船。バンスタードリームは、韓国籍の船で2.5万トン。545人乗り。韓国人団体60人くらい(2組)と、数人ほどの日本人(在日の人も)。乗船は、縄梯子でなくて、建物から続くエスカレーター。さくがは国際港釜山。出国手続きほぼなし。船内ロビーに入るとクラシック音楽の生演奏。イムジチの四季、グノーのアヴェマリア、バイオリンとピアノの生演奏で、欧米系の女性ふたり。この船には、サウナ、カラオケ、日本酒バー、免税店、コンビニなどがある。部屋は、マットレス、シーツ2枚、枕、毛布つきで、6人部屋だが、乗客が少ないので、大阪在住の在日女性(60代)とふたり。毎週この船便で、韓国野菜の買い付けにきているとのこと。たくましい女性の話、しっかり聞くことが出来た。大阪港での再入国審査は、ほぼフリーだった。
16時30分ー対馬、21時―下関、瀬戸大橋朝6時、明石8時半、大阪南港には24日朝10時着、というスケジュール通りの航行だった。23日の夕陽も感動だった。
往きも、帰りも、揺れはまるで感じられず、静かな海路だった。停泊が多く、到着港での時間調整をしているようだった。静かな船旅で、海外旅行。
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