2023年1月25日水曜日

今朝も4時 列島寒波 でも歩く

二日前から、寒波が来る、日本列島がすっぽり冷蔵庫に、なんて報道が繰り返されていたので、その気になって、懐中電灯、ほっかいろ、インスタント食品などを準備していたが、それほどでもなかった。それでも、朝4時のウオーキングに。さすがに寒い。近くの運河沿いの道を往く。真っ暗のはずだが、道路沿いのマンションの明かりで暗くはない。東に向かって歩く。日の出までは、まだまだの時間。そんなにも早く歩くこと、ないんじゃない、なんて言われているけれど、決めたんだから歩くんです。

携帯ラジオからは、日本列島、あっちこっちで、「雪」、とのニュース。雪といえば、いろんな思い出がある。

ウインタースポーツの冬山登山、XCクロスカントリースキー、どちらも、めいっぱいやった、楽しんだ。冬の立山、穂高、乗鞍など、怖い目にもあったが、いい山行だった。XCスキーでは、国内外のレースに毎冬、シーズン中は、ほとんど出場していた。冬のシーズン中は、日光の幸徳牧場、猪苗代湖の国民休暇村、乗鞍高原などで練習、週末はほとんど 雪の上にいた。国内では、北海道の湧別100キロレースに、9年続けて出場、海外でも、本場のノルウェイ、スウェーデン、オーストリア、スイス、フランスでのレースに、また、イタリアでは、ミラノに近いピンゾロで開催の24時間レースに出場した。あの時は、レースの途中で飲んだHot winnがおいしかった。泊まっていた民宿のおじさんが、差し入れてくれた赤ワイン、今でもあの味を覚えている。そうそう、EUで研修生ということで招待された際には、毎週末ブラッセルから列車で、ミュンヘンまで行き、駅近くのホテルにスキー一式を預けて、近くのスキー場でXCスキー三昧だったたこともあった。

国内での「雪」体験、四国でお遍路さん巡りをしていた時、たまたま四国に雪が降った。歩き遍路は、天候に関係なく、雨でも、雪でも、歩きます。その日は、かなりの雪で、雪体験のない四国の人たちは、かなり往生しておられた。雪で動けなくなっていた車を何台も、お助けしました、「お接待」です。熊野古道は、14,5年ほど冬の季節に通ったけれど、雪の体験は、ほとんどない。紀伊半島は、やはり南の地、なんですね。

冬の「雪」体験、青森でのこと。知人のUさんの車で、八甲田山へ。たまたま映画の『八甲田山』の撮影が行われていました。雪の撮影現場には、信じられないほどの大勢さんたちがおり、なのに、まだ足りない、ということで、通りかかった私たちが頼まれ、エキストラ出演。古い軍服を着て、行列に加わり、ただただ歩くだけ、という出演ですが、係のおじさんが、映画、見てよ、自分が写っていますよ、といわれた。もちろん、出演料なしでしたが、なんだか、うれしくて、東京に帰ってきてから、友人たちに、「八甲田山の映画、出演したんだ、見て、見て」、といいふらしてまわった、が結果、自分でも見に行ったけれど、どこにいたのか、わからなかった。人生初の映画出演、残念の巻。



2023年1月18日水曜日

語り継ぐ あの震災を 東京で

1月27日、朝の5時46分、関西大震災。今から28年前のことだった。当時、指圧の学校の57歳の生徒だった。あの時間、朝ごはんを食べながらテレビを見ていた。で、地震直後の神戸に、「えらいこっちゃ 」と叫びながら、見入っていた。それでも、いつもの通りの通学。北綾瀬駅までチャリで。早朝の乗客、いつもの通りで、だれひとり、地震を話題にせず、「神戸で、大地震あったんですよ」、を叫びたい気持ちをぐっと抑えて学校へ。ここでは、だれもが話題にしていた。友人や親戚もいたので、それから3~4日は、電話をかけまくったが、なかなか通じず、心配の日々だった。幸いみなさん、命だけは無事だった。

その後は、東北大震災。1973年だった。この時は、旅先だった。放射能汚染で、多くの住民が、いのちからがら、日本中、あちこちに避難。足立区でも被災者を受け入れた。綾瀬駅近くの銭湯が、被災者で混むという状態だった。今朝の新聞を見ていたら、東京電力の当時の幹部だった人たちの裁判が行われているとのこと。津波を予期できなかったのが、罪になるのかなあ。あれから12年、放射能汚染地域を莫大な費用をかけての除染がすんだものの、元の村や町に戻る人は少ない。あの事故で、日本中の原発が止まり、私たちは、もっと電力消費を減らそうとの風潮が高まった。なのに、なぜか、原発再稼働の声が政府から発せられている。ウクライナ戦争で、石油の供給不安が高まり、海外からの輸入に頼っているわが国の現状、この際、国内の原発の再稼働しかない、というわけ。

もひとつ、気掛かりなこと。日本が防衛大国になるかもしれない、という懸念だ。この正月休みに、日本のPMは、主要各国を回り、「わが国は、今後、防衛予算を増額し、こんな防衛計画を」、と説明しまくったようです。今後の日本、どうなるか、とても気になります。

そんなことを考えながら、西新井大師へ初参り。それほどの人出ではなかった。参道で、スマホの画面を見ながら歩いている若者たち、ひとりやふたりではない。お大師さんに、何しにきたのか。西新井から王子行きの都バスに乗ったら、客のほとんどが、スマホをいじっていた。

2023年1月11日水曜日

初乗りで 改装すんだ 渋谷駅

48時間、山手線を止めて、ホームの改装工事をしていた渋谷駅、やっぱし行ってみよう、ということで、お出かけ。西日暮里駅から山手線に乗車。1月10日、実は、もしかしたら式典帰りの着物姿成人に会えるかな、と期待していたけれど、この日、この時間帯に会ったのは、3人。みんな電車に乗らないのかな、といいながら、乗車の山手線は、渋谷駅に。下車、ざっと見渡す。ホームが広がったというけれど、ふだん、あまり乗り降りしたことがなく、実感は、ない。「これで、いいのだ」といいながら、すぐきた山手線に乗った。電車内は、そう混んでいない。

   彼女に会いに池袋  代々木になったら家を出て 原宿減ったら渋谷顔 彼女に会ったら恵比寿顔 というわけで、恵比寿に着く。3人組が乗ってきて、となりの席に。声が大きいので、会話がよく聞こえる。東京でひとり暮らしをしている息子とその両親。息子は、まだ大学生のようだ。息子が、いいみやげだよ、東京の恵比寿のガーデンプレイスで買ったといえば、みんなよろこぶよ、と。立派な紙袋に入ったおみやげ4個。「風邪ひくな、コロナも気をつけろ」とお父さん。なんども繰り返す。「わかった、わかったよ」、と息子。3人組は東京駅で降りた。新幹線で、どっちへ行くのかな。子どもたちが、田舎へ行くんじゃなくて、親が東京へ、子どもたちに会いにくるんだってケース、目撃。上野駅で常磐線に乗り換え、帰宅。こちらの車内は、そこそこに混んでいた。

4時すぎ、神明町帰着。乗り換えの上野駅で、構内レストランから、カレーの匂いがしたので、その瞬間、今夜は、カレーと決定。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、肉、ぜーんぶあります。ほとんど心配なしのレパートリーです。5時すぎには、整いました。今日は、夕刊はこないので、雑誌のひろい読みをしながらの夕食。だれもやってくれないので、自分でやるしかない、後片付け。でも、あとは、自由時間。

7時のニュース(NHK)を見て、あとは、民放の報道番組が、よく見るテレビ定番。TBSとふじテレビ。国内外の報道番組で、専門の先生方がコメント出演をする。この一年間は、ウクライナがほぼ出づっぱりテーマだった。コマーシャルになったり、内容にあきると、新聞や本を読む。気になることがあると、年表や、地図をとり出して、確かめる。「ひとり遊び」(ひとり学び)の時間です。なんとなく充実の時間帯。そういえば、最近、日本の総理大臣が出演していた。「新しい資本主義」、「異次元の子ども政策」、「国民の命と財産を守るための防衛力の強化」、などなど、うーん、わかりずらい。番組の途中で、眠くなってしまう。そういう時は、がまんせず、寝てしまう。寝つきよく、眠れない、という体験はほとんど、ない。というわけで、今年の年賀のご挨拶は、「目が覚めて 今日も生きてる 感謝 ブラボー」の毎日です。                 

2023年1月9日月曜日

あれこれと おもうこと多し 年はじめ

ラデツキー 思わず手拍子 ニューイヤー (1月7日)            

NHKの実況中継は、2日の夜だったけれど、再放送が7日午後、行われた、ウイーンのオペラハウスでの恒例のニューイヤースコンサート、なつかしい。ニューイヤーだけでなく、ワーグナー週間、一週間、毎日、ワーグナーの曲だけを演奏する、あれにも通った。現役時代、海外が多かったのを利用して、ウイーンへは何度も行った。ウイーンの住人だった友人フリッツイ・コトブスキーのアパートが定宿だった。祖先がチェコスロバキアだというフリッツイだが、来日して、わが家に泊まった時、ラジオから聞こえてきた「ドナウ川のさざ波」、シュトラウスの曲に、あゝウイーン、ウイーンとホームシックで涙していた。ウイーンを心から愛していた彼女、昨年、亡くなった。亡くなる前の一昨年、お見舞いのウイーンでの再会が最後となった。                       そんなことを思い出しながらのニューイヤース・コンサート。今年の指揮は、ウェルザー・メスト、オーストリア人。客席は、ソーシャルデイスタンスを、どうもとっていなかったようだが、着物姿の日本人も何人かいた。ほとんどシュトラウス一家の曲だったが、ときどき、ウイーンのお城の中でのバレーダンスもあり、とにかく、新年らしい素敵なコンサートだった。ウイーン少年・少女合唱団のコーラスがあり、少女合唱団の存在を知った。2時間あまりの最後、この最後の曲は、いつも通り、ラデツキー行進曲。指揮者が、会場の方を向いての指揮、この時を、待ってました、の観客。指揮者の指揮棒に従って、観客船員での手拍子。これがなんとも、楽しいのだ。遠く離れた日本の東京、足立区から、ウイーンに向けて「手拍子」を送りました。感激、感動、でした。

久能山 どうする家康 NHK (1月8日)                ほぼ毎日、NHKで大河ドラマの家康を宣伝していたので、普段は、あまり見ないのに、一回目を見てしまった。大騒ぎの前宣伝は、なんだったんだ、といいつつ、ほとんど感動せずの1時間45分だった。でも、久能山がでてきて、そうだった、あの久能山、3回、行ったことがある。旧東海道の旅の途中に立ち寄るということで、3回とも、歩いての旅だった。ケーブルがあるのを知らなかった。久能山そのものは、1065mだという。3回とも、海側からの1159段の石段を登り降りしたと記憶している。時代もの石畳も随分荒れていた。海側に降りて、しばらく歩いたところに、いちご農園があり、とりたてをいただいた。日光東照宮よりも、こちらがホンめの東照宮であることを、再確認した。

18歳 今日から大人 えっホント(1月9日)              どうもピントこないのだ。1月15日だったはずなのに、いつの間にか、国民祝日の日が、変更。それに、20歳が成人だったはずなのに、いつの間にか、18歳に。それも法律で決めたんだって。今年の成人式、従来通り20歳が対象だったり、18歳だったり、なんだそうです。新聞には、この日の対象者18歳~20歳成人は、341万人なんだそうだ。選挙になれば、みんな投票できるんです。いくらか、日本の政治が変わるのか、期待しています。         あの頃、自分が20歳になった頃、どうしていたのか。安保闘争真っ最中だったか。成人式に出席した記憶がない。後になって、高校の同級生に聞いてみたら、出席したよ、と言っていたので、他の人たちは、出ていたようだ。ただ、母親は期待をしていたようで、裁縫の先生だった彼女は、成人式用の和服を用意していた。その衣装を娘に強制することなく、6歳ちがいの妹が成人式に袖を通した。そのことを知ったのは、母親が亡くなった後、いろいろ整理していた中から出てきて、わかった。

                              


 

2023年1月6日金曜日

新年朝 寒さひとしお でも散歩

昨晩、2022年12月31日、大晦日の晩、「恒例の・・・」紅白を見ず、『混迷の世紀』(NHKシリーズ) を。世界の平和の秩序が、どうなっているか、日本はどうすべきか、がテーマ。たとえば、エネルギー問題、太陽に、風力に頼ればいい、と思っていたが、その太陽、風力を電気に変えるには、「銅」が必要なのだ。その銅の争奪戦が、すでに始まっている。電気自動車だって、限りある地球の資源なしでは、できないのだ。それよりも、輸入依存の日本の食料問題は、もっと深刻。

2023年1月1日、いつもと変わらない。4時起床、まだ真っ暗。3POに。初日の出にはまだ2時間早い。さすがは、元旦、車もめったに会わない。寒い、手袋をしていても、手先が冷たい。

初詣 並ぶ人みて すぐ退散

10時すぎに、西新井大師へ行ってみた。元旦だもんね、といいながら、参道へ。予想通りの長い行列、であきらめた。どうする? やっぱり初乗り、ですよ。西新井駅から東武線(スカイツリーライン)に乗車。浅草方面行きは、混んでいたが、下りは空いている。東武動物公園行きに乗車。ほぼがらがら。途中、乗り換えは、2駅。最初は、新越谷駅から埼京線に、もうひとつは、春日部駅から東武アーバンパークライン線。新年なのだ、元旦なのです、だから、少しでも長い距離に、と春日部駅へ。

初乗りの 電車新品 おめでとう

乗った東武動物公園行きが、なんと新品、おろしたての新品車輛のようで、「真新しい」匂いがぷんぷん。車内の隅々に、ごみ、ほこりがまったくない、まちがいなく新品車輛です。「すごーい、うれしい」です。まさに正月元旦の、初乗りにふさわしい電車です。    車窓からの風景も、おだやか、正月らしい。と国旗(日の丸)が見えた。そう、本日は、旗日、1月元旦です。日本人は、日の丸です、サッカーの試合の旗だけではありません。

電車は、野田駅を通過。野田醤油の煙突がいくつも見える。煙は出ていない、そう本日は、1月1日。醤油といえば、熊野古道の湯浅も醤油の街だ。熊野古道、隠居になってから10年ほど、毎年、年末年始は、熊野古道だった。

旅先の 熊野灘から 初日の出                                12月30日から1月3日まで、ほぼ毎年、でかけていた。和歌山田辺の農家のKさんの声かけでの古道歩きの旅。おかげで、熊野古道は、なんども歩くことができた。熊野灘の初日の出、夕日の風景、見るたびに感動。あの頃の熊野灘は、さんまがよく獲れた。宿泊先での正月料理には、さんまが必ずでていた。

終点ではないけれど、ここで降りる、取手駅。水戸から来る常磐線に乗る。こちらは、やや混んでいるけれど、座れないほどではない。綾瀬駅まで40分。今年も、ちょい旅でスタート。まあまあの初乗りだった。