全国高校野球の決勝戦、始めから最後まで、テレビ観戦。ほぼ毎年、見てきたが、去年は、コロナで、余裕がなく、ついつい見逃してしまった。もとソフトボール選手で、ピッチャー、4番打者で、主将だった中学時代、なので、ルールは、熟知。昔、洗濯屋(クリーニング店)だった我が家は、あのジャイアンツ巨人のユニフォームの洗濯をしていたことがあり、父親は、ラジオでよくプロ野球の実況を聞いていた。
この高校野球、昨年は、観客なしで行われ、あの頃、毎日の雨で、8月末の決勝戦だったというのを思い出した。仙台育英高校と、下関国際高校の決勝対戦だった。どちらかを応援するほど思い入れはなかったが、どちらも、歩き旅で行ったことがあり、なつかしい思い出をいくつか。
下関は、山陽道歩きの西の起点。旅の第一日めに、下関側から小倉側へ、地下道で往復するという体験。なあんだ、こんなに近い、というのが、印象だった。下関から、山口、広島、岡山、姫路、兵庫を歩き、京都三条大橋までの旅で、安芸の宮島、錦帯橋などへも立ち寄った旅だった。そういえば、山口あたりで、大雨、集中豪雨に遭遇、新幹線のガードの下で、雨宿りをしたっけ。兵庫から大阪に入るあたり、新幹線から見えるサントリー工場では、見学後のウイスキーの試飲、うまかったな。でも、甲子園、優勝旗を逃して、残念。でも、よくやった、下関国際高校!
仙台育英高校の本拠地宮城県は、奥の細道の旅、奥州街道の旅などで、なんども歩いている。東北の高校が、念願だった「白河の関越え」、その白河の関には、三度行った。松尾芭蕉も通った白河の関は、福島県白河市だが、平安時代から、歌枕に出てきていて、いわゆる歌人たちのあこがれの地。ここを過ぎると都から離れて、東北地に入る、という境界の地であり、神社には、『白川の関』の文字、大きな碑が立っていた。近くの街道沿いの食堂で、大盛ラーメンを注文したら、洗面器サイズの丼に入ったラーメンが出てきて、びっくり。忘れもしない体験だった。
能因法師の詩「都をば 霞とともにたちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」(後拾遺集)という歌碑もあった。いよいよここから東北。甲子園で、これまで12回、負けてきた高校野球の決勝戦、いつかは、勝つ、必ず勝つを合言葉に、励んでいた、という。「白河越え」は、ようやく達成された、というわけ。 「おめでとう」。
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