2022年8月19日金曜日

あの時 機内で見た森英恵さん

今朝の新聞に「森英恵さん死去 世界的服飾デザイナー」、の見出し。皇后雅子さまの結婚衣装、オリンピックの日本選手のユニフォームなどのデザインを手がけた有名な女性。たしか文化勲章を貰っておられる。その森英恵さんと、同じフライトに乗ったことを思い出した。ヨーロッパ行きの機内。エコノミイが満席で、グレードアップでファーストクラスの席に。すぐ前の女性が、森英恵さんだった。実は、その時は、森さんを存じ上げていなかった。ファッションなんか、ほとんど関係ない、という日常だったので。席を立った姿、彼女の下半身が「もんぺ」だった。ところが、機内のスチュワーデスさんたちが、みな「先生」と呼んでいたので、トイレに立った時に、聞いてみた。「森さんですよ」、えっ森、なにさんですか、と尋ねると、「森英恵さん」、とのこと。 聞いたことがある名前だったが、それ以上でも、それ以下でもなく、たいした関心がなかった。その話を、山本寛斎さんにしたら、「そうなんだよ、彼女、パリ行きの際は、いつも、もんぺ、なんだ」と言っていた。

長い職歴だったが、そういえば、どんな格好していたのか、服歴、思い出してみた。

ごく普通の背広スーツ、季節毎に3~4着、男性一般とほぼ同じ。背広(上着)には、多少凝っていた。芸能人が、深紅を裏地に使っていたのを見て、香港で作ってもらった。Yシャッツは、シルクで有名なバンコックのジムトンプソンで、まとめて5~6着注文。結構、いいお客さんだった。シルクは、洗濯がたいへんだけれども、父親が洗濯屋さん、いつもアイロンがしっかりかかったYシャッツを着ていました。

アフリカスーダンに赴任した当時は、なせか、インドネシアで手に入れたバティック布地で作ったシャッツで過ごした。いくつものポケットのあるベスト、パスポートなども入るポケットが重宝した。

その後、国際会議などに頻繁に出席する環境になった頃、たまたま訪問したキエフで、民族衣装姿の人たちをみかけ、持ち帰えった写真を見本に作ってもらったのが、「ルパシカ」。これは、3年ほど着用。今、ロシアと戦っているウクライナ、ルパシカ姿の人は見かけない。

そうそう、モンゴル衣装は、着るチャンスがないまま、何着も持っている。

本日は、これから、ちょい乗り路線バス乗りに出かける。いで立ちは、Tシャッツ、Gパン、夏用のベスト。この3年、コロナ到来で、いつもこんな姿です。デイバッグに飲み水、あんぱん2個が入っている。3~4時間で戻ります。


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