連日、コロナで占められている新聞で、気になる記事が大きく取り上げられている、「エチオピアからの難民が急増」の大見出し。
実 は、この問題は、1980年代から存在しており、今に始まったことではない。当時、UNDP(国連開発計画)の代表として、スーダンの首都ハルツームに赴任していた。直接の担当ではなかったが、スーダン国内の難民キャンプを何度か視察したことがあった。
スーダンとの国境に近いエチオピア北部のテイグライ州からの難民が、スーダン国内に逃げ込んだもので、UNHCR(国連難民高等弁務官)や、外国のNGOなどがキャンプを作って救済活動をしていた。当時も、今も、エチオピア政府とテイグライ人民解放戦線(TPLF)との戦いで、軍事衝突から逃れようとする人々がスーダン側に押し寄せている、という。その数、6000人。今後、20万人を超える難民が予想されているとも。
あの頃、今から40年ほど前、スーダンの難民キャンプで会った人たちは、その後、どうしたのか、どうしているのだろうか。
当時の取材で、難民キャンプが、TPLFの戦闘員たちにとって、戦闘につかれたり、傷ついたりした際の「逃げ場」の役割をはたしていた、ことがわかった。キャンプ内には、売春テントの存在もあった。長丁場の戦いだった。
そんなエチオピアの首相・アピー首相は昨年のノーベル平和賞の受賞者。なーんでか、です。こうしている瞬間にも、エチオピアでは、戦闘で死傷者、そして難民が出ている。