2020年2月24日月曜日

「心に残る贅沢な船旅を」[

今朝の新聞広告です。「心に残る世界一周クルーズを」、半ページを使った広告です。今や、新型クルーズ肺炎真っ盛りで、新聞でも、テレビでも、このニュースばっかり。こんな時に募集ですか。
 夕べの銭湯での話。
 「うちの隣りの○○さん、船に乗るつもりだったらしいんだよ」、
 「船って、あの大きな客船かい?」、
 「それがねえ、なにしろ、高いんだって。100万以上もするんだってさ」、
 という具合のご近所噂話。
 (続き)このご近所さん、奥さんが熱心で、死ぬまでに、一度乗ってみたいと、いい、船に乗る準備をしていたとのこと。英会話の勉強、ダンスの練習、何着か洋服も新調したらしい。ご主人はといえば、それほど、乗り気でなく、でも、奥さんの熱心な希望で、同行することになり、ま、楽しみにしていたらしい。
 ところが、です。エリザベス・クイーンズ号のニュースで、「やっぱり、やめよう」ということになった。そりゃあそうですよ!
 「でもねえ、奥さん、行くつもりで、いろいろ準備してきたんだから、やっぱり行くときかないんだって。目下、旦那と口をきかない状態だそうよ」。
 へえ、近くにクルーズ船乗り希望者がいたことを知った。
 今回のダイヤモンドに乗っていた多くは、70歳、80歳代の客が多かったよう。船旅3回めという人もいた。持病もちで、薬、飲み飲みの旅だった人も。足どめされた船室で、「おれは、来たくなかったんだ、云ったこっちゃない」、なんて夫婦喧嘩をしていた夫婦もいたんじゃないか。それにしても、船旅は、お金がかかる。にもかかわらず、日本人の多くの高齢者たちが、これに参加しているって、すごい。金持ちが多いんだね。
 昨日、綾瀬駅近くのヨーカ堂で、行列が出来ており、「マスクが入りました、ひとり一箱です」、と係りの人が叫んでいた。お隣りのマツモトキヨシの店頭には、「マスクは品切れです」、との張紙。

2020年2月15日土曜日

和歌山件湯浅町

和歌山県湯浅町、昨日テレビを見ていたら、「湯浅町」の町長が出ていた。町の病院の医師が、あの新型コロナウイルス肺炎の感染者になったという。ここ毎日のように、新型肺炎の感染者のニュースが伝えられている。
 湯浅町は、熊野古道の宿場であり、西国巡礼の宿場でもある。熊野古道の旅、西国巡礼の旅、双方で、なんどか行ったことがある。西国巡礼時には、いちばんの青岸渡寺から二番の三井寺までは、二日がかりの距離で、途中の湯浅町で泊まったことがあった。 
 街中には、二メートルもある大きな道標が立っており、『熊野古道ー西国巡礼路』の大きな文字が彫ってある。
 近くの海岸には、あの有名な「いなむらの火」のモニュメントがあった。浜口悟陵、が村長時、安政の大地震の際、大津波の来襲を村人に知らせるため、刈ったばかりの稲棚に火をつけた、村人は、おかげで、全員無事だった、こういう話で、防災の教訓として、小学校の教科書にも載っている。実際には、隣町の広川町だが、湯浅といえば、いなむらの火として記憶している。
 銭湯さがしで、町じゅうを歩いたが、銭湯はなく、醤油のニオイがした。ここは、周瑜発祥の地でもあった。そういえば、あの紀伊国屋文左衛門の出身地でもある。
 ところで、今回の新型肺炎騒動、この先、どうなるのか、オリンピック、大丈夫なのか、それよりも、81歳の老体、大丈夫なのか、いろいろ考えてしまう。でも、ま、考えたってしょうがない。それにしても、豪華客船なんかに、乗れなくて、本当によかった。

2020年2月8日土曜日

ご詠歌を習っています

浅草へ、月2~回、通っています。
 千葉は、銚子のお寺が、東京でご詠歌を教えており、これに、かれこれ10年間、参加しています。月2~3回、寺らしくないマンションの一室が会場です。
 ご詠歌をはじめて聞いたのは、四国遍路に行った時、山奥のお寺で、4~5人の遍路者たちが、合唱していたのを聞いた時です。静寂の山の奥から、詠うような、語るような声と、ときどき鳴らされる鉦(しょう)の音色、なんともいえない響きでした。
 感動して、すぐにはじめました。鐘は、ネットで800円でゲット。付属品の「ふさ」は、七五三の、女の子がふところに入れる、なんていうのか、お財布みないなのに、ついているふさふさの糸、ひもで、これは、千住のごみ捨て場でみつけたのを代用しています。
 ご詠歌は、ほぼ五七五七七で構成されており、仏教のいろんな行事で詠われます。
 たとえば、興教大師をたたえるご詠歌は、「ありがたや、高野の山の岩かげに、大師は
いまもおわしまします」という具合です。
 葬式の際には、追悼和讃ご詠歌、供養のご詠歌を、巡礼時にお接待をいただいた際には
お茶接待答礼和讃などがあります。四国遍路、西国巡礼の際には、各寺で、それぞれご詠歌があり、同じ調子で、巡拝時に詠います。こどもが亡くなった時には、児童追弔和讃があります。10年もやっていると、ほぼ暗記していますが、教本をみながら、声、鉦を確認します。
 参加者は、10名前後で、男性が3~4名、女性の方がやや多く4~5名。いずれも高齢者で、男性のひとりは、初日、ネクタイ、スーツ姿で現れたのには、驚きました。女性たちは、海外旅行もほぼ全て終了、そろそろご詠歌でも、という方、鎌倉から東京駅に着いて、ときどきタクシーでいらっしゃるセレブの方、元交通公社の添乗員だった方、こちらは、国内地図がからだにしみこんでいるらしく、地図がやたらと詳しい。声が小さい主婦業の77歳。先生は、銚子の寺の住職で、ご詠歌の声がすばらしい、ほれぼれするようないい声をしておられる。1回の参加費が、1000円、これがありがたい。
 ご詠歌の他に、写経会、巡礼講座などもやっていて、これには、住職の父上(名誉住職)が、銚子から通ってくる。
 珍しく長つづきしている「なりいごと」です。

2020年2月2日日曜日

ニュージーランドの友人の訃報

シンガポールの友人からのメールで、マイク・モアが亡くなったことを知った。
 マイクは、ニュージーランド労働党の国会議員から、WTO(国連貿易機構)の事務局長になった。ニュージーランド労働党内の権力闘争で、ヘレン・クラーク女史(後に首相)に敗れ、なぜか、いつも間にか、国連機関のボスになっていた。ニュージーランドが、小国なのに、英連邦の一員であることから、国連の重席がとれた、そんな噂話をしていた。
 こんなことがあった。東京で学生運動が激しかった頃、羽田空港(当時は、羽田しかなかった)から「今、羽田空港についたが、革命はどこか?」、と男性の声。どこの国の、だれか、”who are you?",  ニュージーランドからきた、労働党のマイク・モア、と名乗った。ともかく事務所にきて、というと1時間ほどで到着。学生運動のデモが、「革命だ」と勘違いしたらしい。
 翌日の夕方の便で、韓国へ行くというマイクのために、外務省や丸善で、日本に関するパンフレット、書籍類をかきあつめてやった。
 それから一年後ほど経った頃、マイクから電報が届いた、「選挙に出馬するので、ぜひ応援にきて欲しい」、というもので、たまたま会議出席のためにオーストラリアのメルボルンへ行くことになっており、ま、ついでなので、ウエリントンへ。
 空港に出迎えてくれ、そのまま、彼の車で、選挙運動へ連れていかれた。たしかクライスラー(アメリカの自動車会社)工場の門のところが演説会場。工場を退出する人たちが、通って行く。空港から直行の日本人が、選挙演説に立つと、「今、日本から、はるばる私の為の応援に来てくれた同士タグチです」、と紹介。その後、日本語で、挨拶すると、彼、マイクが、それを英語に翻訳する、で役30分のスピーチ。マイクは、日本語はまったくだめなのに、自分がいかに日本はじめ、東南アジアに精通しているかをひけらかす英語の見事なスピーチだった。
 このパターンで、三日間、選挙運動に加わった。日本語=英語、別々の内容だったが有権者者のみなさん、結構、納得していたみたいで、今から考えると、なんとも恥ずかしい次第です。彼は、日本からの応援もあり、見事当選。後に労働党政権で、貿易大臣になった。なお、マイクの政敵だったヘレン・クラークは、首相の後、UNDP・国連開発機構の
総裁になった。