JICA(国際事業団)時代、月刊誌の編集委員だった中根先生とは、親しくしていただいた。団地のような集合住宅にひとりで住んでおられ、なんどか伺ったことがある。こんな会話をしたのを覚えている。
「先生と、私って、似ていると思います?」、と聞くと、「そうね、似ているかな、似ていないかな」、と笑われた。
実は、中根千枝先生と、間違われたことがあった。
インドで、どこだったか、「あなた、ナカネ教授ですよね」、とたしか州政府の官僚だったか、役人にいわれたのだ。その頃、先生の著書・タテ社会は、有名になっていて、ベストセラーでもあった。とりあえず、買ったけれど、読んではいなかった。
インド社会で、フィールドワークをされた先生は、あの広いインドのあっちこっちを歩いており、開発問題を理解していないまま、インド各地を歩き廻っていた日本人女性ということで、間違われたのだった。『タテ社会の人間関係』は、帰国して、すぐに読みました。
日本の社会が、タテである、つまり、ヨコよりもタテの原理で成り立っているー会社などでも、先輩、後輩の序列が濃厚であるのに、インドでは、ヨコのつながりが強い、そういった内容の本だった。もちろん、日本国内でのフィールドワークもしっかりされたいる。
東大教授で、文化勲章受章など、女性の研究者として、活躍された。『タテ社会、』はイスラエルのテルアビブ大学の図書館にもあった(英訳)。
10月12日、中根千枝先生、94歳で亡くなられた。
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