2020年7月28日火曜日

山本寛斎さんのこと

寛斎さんのこと
 今朝の新聞に、「山本寛斎さん死去」の見出し。えっ、寛斎さんが、と思わず叫んでしまった。
 今から2、3〇年前だったか、伊豆で日本の中堅リーダーの会議が行われていた。二泊三日のこのセミナーに、5,6回参加していた際に、寛斎さんと会った。彼とは、たしか会ったのは、2回。作曲家の三枝さん、吉永のみっちゃん(みち子)、「ぴあ」の矢内社長などもいた。普段は、あまり関係ない人たちだったが、セミナー以外でも、結構、会ったりしていた。
 コトの次第は、はっきり覚えていないが、伊豆のセミナー会場で、寛斎さんが、毎日、着るものをとっかえ、ひっかえしてきたので、みんなで、さすが、ファッションデザイナーだ、と感心していたら、「わたしの着ているシャツを、よかったらプレゼントする」、といわれ、思わず手を挙げた。彼が、有名なファッションデザイナーだなんて、意識ゼロだったので、手を挙げたのだ。
 と、たしか、一週間後、宅急便が届いた。寛斎さんからだった。開けると、あのシャツが入っていた。シャツと言っても、女性のブラウス風のゆったりした仕立てのシャツだった。色は、たしかピンクと薄い緑色(竹色)の、どちらかというとド派手なものだった。
 少し派手だけれど、と礼状を出したら、新聞の半分ほどの大きな画用紙に、「たまには、派手にして、目立つことも大切だよ」、とパステルの大きな文字の返事がきた。
 それだけのことだったが、寛斎さんの人柄を感じた出来事だった。
 翌年のセミナーには、寛斎さんは、来なかった。
 「ぴあ」の矢内さんは、毎年、両国の初場所の招待席の切符を、6年間も贈ってくれた。埼玉の女性団体でボランティアをしていて、死ぬまでに、いちどでいいから、ほんものの相撲を見たいという人がいるので、というと、その年から
「ぴあ」の社長室から、切符が二枚送られてきた。毎年、選んで、ひとりづつ、両国国技館にご一緒した。席は、いわゆる砂っかぶりの席だった。死ぬ前といっていた人たちは、相撲見物の後、みなさん、長生きした。
 その矢内さんとは、数年前、なぜか、モンゴルのウランバートルで、偶然再会。国立劇場で、日本からご一緒の団体さんたちと観劇にきておられた。たまたま、モンゴルの友人と
来ていて、なんと、席が真ん前、そこに矢内さんがいたのだ。「いつも、相撲の切符、ありがとうございます」、とはじめて、当人に御礼を伝えた。いつもは、社長秘書の女性と
だったので。偶然とはいえ、そうゆうことって、あるのだ。

2020年7月15日水曜日

ひとり暮らしの極意

4時に起きる。
 夕べ寝たのが9時だから、起きていい時間。
 毛布やら、ふとんを、みてくれのいいように、整理し、着替える。今日着るモノは、夕べ脱いだモノ。夕べのモノは、ざるに入っている。このざるは、店仕舞いの銭湯から、譲ってもらった。100円だった。
 昨日、着ていたモノを、今日着る。stay homeなので、昨日も、今日も、同じモノですませている。洗濯は、3日にいちど、カレンダーにしるしをつけている。
 顔を洗って、15分ほど体操をする。準備体操。
 で、バイクに乗る。エアロバイク15分間。テレビの見える場所に設置しているので、本日の、いちばんのテレビニュースと天気予報をみながら、バイクを漕ぐ。
 バイクの次は、お茶の時間。お茶は、静岡の友人から、いただいたほんものです。プラス、仙台から毎年届く梅干し。
沖縄の黒砂糖をつけて、食べる。減塩してるとはいえ、梅干しは、梅干し、「すっぱい」。
 コロナ前は、毎朝、コーヒーを入れて、飲んでいたけれど
コーヒーの粉にお金をけけるより、日本人なのだから、朝は日本茶でしょう、になった。
 「お茶の時間」の後は、これまた、日本人なのだから、朝は、般若心経でしょう、読経します。まだ朝なので、少し音量をさげ、ま、アルトっぽく経をあげます。
 8年前から、寺のご詠歌の勉強会に行っていたので、般若心経は、そらで覚えているけれど、経典を見ながらの読経で
す。
 この間に、検温します。高齢者は、サンミツをさけ、手洗い、検温をというので、守っています。般若心経が読み終わる時間が、ちょうど検温の時間なのです。
 「本日も、モンダイなーい」。
テレビをつけると、語学講座をやっている。スペイン語、イタリア語、韓国語、中国語、英語が日替わりに出てくるので
毎朝、なにかしら、ちょい学びです。会話なので、わかりやすい。単語のひろい学びを楽しんでます。
 これがすむと、テレビ体操の時間。ラジオ体操の第一と第二、それにテレビ体操のうちふたつを組み合わせにしている。バランスのとれた体格のお姉さんたちが、テレビの画面でやってくれるのに合わせてやる、これがなかなかいい。 
 15分ほどで終了。
 「さあ、いくぞ!」
 3P0(ウオーキング)の時間。
 コースは、埼玉県と東京都の境にある運河沿いの遊歩道。
この運河の歴史は、旧く、明治時代からあったと、区史に書いてあった。だから樹木の多くは、古木だ。対岸の埼玉県側の遊歩道には、木がない。
 コロナになってから、歩く人が若干増えてが、緊急事態宣言が解除されてから、人数は減った。
 距離にして、約5キロ。
 その先に、農家のHさん宅、畑がある。今は、枝豆の最盛期だ。
 8時頃に帰宅。新聞を読みながら、1時間ほどかけて、朝ご飯。新聞を広げて読めるほどのスペースのあるテーブルだ。気に入っている。
 9時になり、さあ、ないをしようか、これが、毎日の繰り返し、です。隠居の、朝の、極意です。
 

2020年7月5日日曜日

いきつけ銭湯

 コロナ慣れ、になってしまい、ステイホームが、当たり前というか、快適になってしまったような昨今。
 それでも、銭湯通いは、続けている。ご近所銭湯が、5月5日で閉鎖され、しばらくは、自宅のウチ風呂で我慢していたが、やっぱり銭湯でしょう、というわけで、足立区内31の銭湯を、あっちこっち入り歩いてみた。
 自宅からバスで、15分ほどのところにある「若松湯」。ここは、高校生の頃、バスケット部の部活のあと、よっく入りにきた銭湯だ。60年も経っているのに、まだ現役で存在しているのは、うれしい。
 建物は、ビルになっていて、銭湯は、一階部分で、両側に
は、自転車屋さん、理髪店に貸していて、地下は、居酒屋さん。二階、三階は、アパートのようだ。多角経営で銭湯を続けているのだ。
 その銭湯の内部は、浴槽が3つ、いずれも、ひとりかふたりしか入れないサイズ、サウナは、「3人用」とあり、薬湯(3人くらい)、ミスト風呂、水風呂、という多種類湯だ。
カランは、20個。ちなみに下足入れは、40人分。
 シャワーが、2個あり、ここでまずからだを洗い、まっすぐ薬湯に直行。やや熱めの湯だが、ここに10分づつ2回入り、水風呂でさます。トータルで、25分。脱衣所で5分で
身支度を整え、銭湯をでる。3~5分で、バスがくる。これに乗って帰宅。とまあこんな具合で、週2、3回は、若松湯へ、通っている。
 コロナがひと段落したら、他の銭湯へ行ってみよう。