梅雨のはずなのに、雨が降らない。温度も、まるで夏のようで、暑い日が続いている。水道の水も、ぬるま湯のようだ。神明町、ご近所の紫陽花(あじさい)は、満開をすぎて、花の色が変色しはじめたが、山の中だから、まだ、まだ大丈夫だろうと、出かけた先は、箱根。東京の東のはずれ北千住駅から、箱根湯本へ直行のロマンスカーに乗ることに。
朝9時47分発、11時41分終点湯本着、帰路は、14時44分発、16時56分北千住駅着。平日は、これ1本のみ。
ラッシュアワーの終わった駅ホームには、20名くらいのそれらしい乗客が、次々に到着、発車する地下鉄に乗らず、ロマンスカーを待っていた。小田急は、新宿発のロマンスカーを何本も走らせており、地下鉄千代田線を使ってのロマンスカーは、北千住駅のみだ。名称も「ロマンスカーメトロ」、なんとなくダサイ。
定刻通りの発車、ここで乗る客は、全て1号車、ざっと見渡して30名くらい。走りだしてすぐ、まだ西日暮里駅を通過したころ、車内販売のお姉さんがきた。アナウンスが、「ご乗車ありがとうございます。ただいま、みなさまのお席に『アテンダント』がお伺いしております。ご利用ください」、小田急では、弁当、飲み物売りのお姉さんを地下鉄、アテンダントって呼んでいることを知った。なにしろ、客が乗っているのは、この一両しかなく、従って、このアテンダントが、ちょくちょくやってくる。
大手町、霞が関、表参道に停車するものの、乗客なし。ちなみに、これらの停車駅での下車ができない。代々木上原までは、地下を走り、地上に出ても、町田、本厚木、小田原、
期待はしていなかったものの、車窓から、見るべき風景もない。そうこうしているうちに
定刻通り箱根湯本駅に着いた。
ホーム反対側に止まっていた電車・強羅行き登山電車に飛び乗る。日本人客は、たまにしかいないほど、外国人客ばかりの車内。トランク、ゴロひきなどの大荷物の客ばかり。彼らは、みな箱根の温泉宿に行くのだろう。
お目当てのあじさいは、花が茶色に変色し、なんとも惨めな風景。登山列車なので、ゆっくり、ゆっくり速度なのがいい。スイッチバックが2か所。昔の信越線碓氷峠、今でも篠ノ井線の姥捨て駅も、たしかスイッチバックだ。12時すぎ、終点の強羅着。昼でも食べるか、と3軒のそば屋を覗いたが、名物箱根そば屋のはずなのに、ラーメン、カレーライス、丼物などもメニューにあり、なかなかの値段、だったので、即ギブアップ。入ってきたばかりの電車で、湯本に戻った。この電車は、ガラすきだった。北千住駅行きのロマンスカーメトロ発車まで30分あったので、駅前のみやげもの店を覗く。と、小田原のかまぼこが、どの店でも売られていて、味見用の箱に、大きめに切ったかまぼこが、しこたま入っており、まわった3軒で、しっかり食べたおかげで、昼飯替わりになりました。味見しすぎで、買う気がおこらず、空腹解消のかまぼこだった。
帰りのロマンスカーは、朝よりも客が少なく、この先、営業が続くのかと心配だった。
ちょい旅 路線バス乗りは、花小金井から青梅まで
箱根の翌日6月26日、この日も晴れ。4時に洗濯をして、農家のHさんちで、出荷する枝豆採りを2時間ほどお手伝い。朝刊を読みながら朝食。お天気図では、東京は本日も上天気。
一昨日、路線バス同好のSさんと話していた青梅街道の路線に乗ってみるか、と都内バス案内本を見ているうちに、行く、乗る、と決めた。
高田馬場から西武線で田無、花小金井へ。駅前バスは、みな西武なのに、唯一都バスなのが青梅行きだ。1時間に1本、あと30分でくる。なんとしても、いちばんに乗車しなければならないのだ。で、持参の水分を補給しながら待つ。建物の日蔭で、こちらを見ながらいう立っている御仁、どうやらこの男性、ご同好の方とみた。バス到着のちょっと前に、駅前のいなげやの袋をさげた買物客ら7名が並ぶ。全員高齢者男女。さきほどのご同好さんも乗車。Sさんが言っていたように、バスは、ひたすら青梅街道を走る。
どこにでもある郊外、新興住宅地。いい景色はないけれど、車窓は、おもしろい。
「アートペットクラブ」、停まった信号先の看板。なにかとおもったら、動物葬儀社。東村山に入ると、「宿・すく」とか、「岸・きし」など、一字のバス停地名があった。岩蔵街道、どこから、どこへの街道か。13時35分、青梅駅着。最後は、始発からのあの男性とふたりっきりだった。駅から、東京駅行き特快がすぐにきたので、乗車。神明町わが家前のコンビニで買ってきたパンを食べながら、心地よい冷房の電車で御茶ノ水駅へ。駅そばの丸善で、立ち読みして、帰宅。
2018年6月30日土曜日
2018年6月29日金曜日
「ヒットラーとわたし」 映画『ゲッベルスと私』
雨降り日は、映画、と決めている。夕べの予報では、雨だったのに、朝起きら、降ってはいなかったが、せっかくなので、映画日。神保町の岩波ホール。前回のマルクスでは、超満員だったのにこの日は、200あまりの座席、ほぼ半分の入りだった。
ゲッベルスは、ナチス・ドイツの宣伝大臣で、ヒットラーに次ぐナンバーツーの、あの戦争の実力者。彼の秘書だった女性が、当時を思い出しながらの、インタービュが映画の内容だ。103歳になった女性ーブルンヒルデ・ポゼムさん、の顔が、白黒映像の中心だ。103歳になると、人間の顔ってこんなになるんだ、と。深ーい皺の彼女が、しっかり語る内容に、当時の記録映像が、時々、写し出される。
この時代のヨーロッパでは、イタリアには、ムッソリーニ、ロシアでは、スターリン、そして、ドイツのヒットラー、という3人の独裁者が、活躍していた。ロシアのスターリンは
ウクライナの300万の農民を餓死させ、1934年には、反スターリン派300人を粛清したことなど、このあたりの歴史は、学んだ、読んだことがある。
ヒットラーが、オーストリアを併合し、第二次大戦開始となった1939年、なんと自分が、東京京橋の木挽町(東銀座)で生まれた年であることに、ふと気づいた。1942年にヒットラーのドイツ軍がスターリングラードで敗退、1943年ムッソリーニが失脚、
1945年、ヒットラーがベルリンで自殺し、終戦となった、こうした時代に子ども時代を過ごしてきたことを、今になって、そうだったのか、と実感している。
生き残ったソ連のスターリンの誕生日、モスクワでの式典に、中国の毛沢東、朝鮮のキム・イルソン(金日成、現金正恩の祖父)らが並んでいる写真、みたことがある。
ヒットラーの狂気の時代に、遠い極東の国で、わたしは、幼少を過ごしていたのだ。
映画のポゼムさん、
「なぜ みんな、あんなにゲッベルスの演説に熱狂したのか」、
「私は、罪を犯したのか、もしそうなら、ドイツ国民全員が罪を犯したと」。
日本人は、「あの戦争時、なぜ戦争に反対しなかったのか、日の丸を振って、多くの男
たちを、戦地に送り出したのか」、と。
原題は、A German Life (あるドイツ人の人生)。 6月19日
翌日は、日本映画『モリのいる場所』
昨日の映画館で、もらってきたパンフレットにあった映画を観ることにした。なんと2日続けての映画鑑賞。銀座4丁目の映画館。ついでに久しぶりで伊東屋へ行ってみるか、と
出かけた。雨だった。30分前から傘をさしての行列。評判の映画らしい。ほぼ全員が女性客。有名な画家熊谷守一さんご夫妻の日常生活が内容。高名な日本画家の先生だそうだ
が、知らなかった。94歳と76歳ご夫婦が主役。30年もの間、自宅から一歩も出かけたことのない画家先生が、自宅お庭で、植物や蟻などを終日鑑賞(?)している日々。文化勲章も辞退する、なんとも時代離れの御仁には、ただただ驚き、感心するばかり。
昨年だったか、『人生フルーツ』という映画を観た。建築家だった夫と3歳年下の妻が、
雑木林の中の一軒家で、野菜、果実などの自家栽培をしながら、ゆったり暮らしている様子は、感動モノだった。
「風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、
果実が実る。こつこつ ゆっくり、人生フルーツ」
この5月22日、待望の八十歳になった高齢者の目線、まだまだ迷いを引きづっている。
ゲッベルスは、ナチス・ドイツの宣伝大臣で、ヒットラーに次ぐナンバーツーの、あの戦争の実力者。彼の秘書だった女性が、当時を思い出しながらの、インタービュが映画の内容だ。103歳になった女性ーブルンヒルデ・ポゼムさん、の顔が、白黒映像の中心だ。103歳になると、人間の顔ってこんなになるんだ、と。深ーい皺の彼女が、しっかり語る内容に、当時の記録映像が、時々、写し出される。
この時代のヨーロッパでは、イタリアには、ムッソリーニ、ロシアでは、スターリン、そして、ドイツのヒットラー、という3人の独裁者が、活躍していた。ロシアのスターリンは
ウクライナの300万の農民を餓死させ、1934年には、反スターリン派300人を粛清したことなど、このあたりの歴史は、学んだ、読んだことがある。
ヒットラーが、オーストリアを併合し、第二次大戦開始となった1939年、なんと自分が、東京京橋の木挽町(東銀座)で生まれた年であることに、ふと気づいた。1942年にヒットラーのドイツ軍がスターリングラードで敗退、1943年ムッソリーニが失脚、
1945年、ヒットラーがベルリンで自殺し、終戦となった、こうした時代に子ども時代を過ごしてきたことを、今になって、そうだったのか、と実感している。
生き残ったソ連のスターリンの誕生日、モスクワでの式典に、中国の毛沢東、朝鮮のキム・イルソン(金日成、現金正恩の祖父)らが並んでいる写真、みたことがある。
ヒットラーの狂気の時代に、遠い極東の国で、わたしは、幼少を過ごしていたのだ。
映画のポゼムさん、
「なぜ みんな、あんなにゲッベルスの演説に熱狂したのか」、
「私は、罪を犯したのか、もしそうなら、ドイツ国民全員が罪を犯したと」。
日本人は、「あの戦争時、なぜ戦争に反対しなかったのか、日の丸を振って、多くの男
たちを、戦地に送り出したのか」、と。
原題は、A German Life (あるドイツ人の人生)。 6月19日
翌日は、日本映画『モリのいる場所』
昨日の映画館で、もらってきたパンフレットにあった映画を観ることにした。なんと2日続けての映画鑑賞。銀座4丁目の映画館。ついでに久しぶりで伊東屋へ行ってみるか、と
出かけた。雨だった。30分前から傘をさしての行列。評判の映画らしい。ほぼ全員が女性客。有名な画家熊谷守一さんご夫妻の日常生活が内容。高名な日本画家の先生だそうだ
が、知らなかった。94歳と76歳ご夫婦が主役。30年もの間、自宅から一歩も出かけたことのない画家先生が、自宅お庭で、植物や蟻などを終日鑑賞(?)している日々。文化勲章も辞退する、なんとも時代離れの御仁には、ただただ驚き、感心するばかり。
昨年だったか、『人生フルーツ』という映画を観た。建築家だった夫と3歳年下の妻が、
雑木林の中の一軒家で、野菜、果実などの自家栽培をしながら、ゆったり暮らしている様子は、感動モノだった。
「風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、
果実が実る。こつこつ ゆっくり、人生フルーツ」
この5月22日、待望の八十歳になった高齢者の目線、まだまだ迷いを引きづっている。
2018年6月8日金曜日
米朝階段直前のシンガポール
「やる」、「やらない」・一喜一憂
平昌オリンピックで、北朝鮮が選手団派遣、政府要人も参加。その後、板門店で、北朝鮮の、あの金正恩と韓国の文在寅、両首脳が会談。あれよ、あれよという進展ぶりで、敵対関係の米朝が会談をすることとなった。いずれも、超変わり者トップのトランプ大統領と金正恩労働党委員長、本当に実現するのか、と当初いわれていたが、トランプの「やらない」、発言、そして、結果的には、「やっぱりやる」、の結論だった。
会談の場所貸しシンガポールでは、政府だけでなく、一般の人たちの間でも、会談のやる、やらない、が話題になっていた。
「北朝鮮からシンガポールまで、直行便で飛べるヒコーキ、持っているのか」、「外貨不足の北朝鮮、シンガポールの高級ホテル代、はらえるのか」、「奥さん連れてくるのか」
などなど。オーチャードロードの高島屋地下の食品売り場では、朝鮮のキムチの特売をし
ていた。ちなみに、ここの回転寿司、平日の昼、行列が出来ていた。
他民族「都市国家」シンガポール
滞在中の5月22日、通いの運転手が来ないので、聞いたら「今日は、祝日だ」とのこと。仏教徒の祝日『仏誕節』。シンガポールには、中国人、マレ―人、インド人が共存しており、それぞれキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の4つの宗教が、教会や寺、モスクなどを持っている。4つの宗教の祝日が設定されていて、お休み日。この日に祝日繁華街へ行ってみた。街中の寺では、お詣りの人たちでいっぱい。環境によくないということで、伝統の長ーい、お線香、
自粛。車椅子の高齢信者も多くみられた。外食大好きの国だけあって、昼も夜も、食堂は、どこも満員だった。日本食が大流行りのようで、
ラーメン、たこ焼き、寿司、今川焼、すき焼き、うどん・そば、しゃぶしゃぶ、看板が目にはいる。寿司は、生の魚を東京の築地から週1~2回、空輸便で運んでくるとのこと。
ハイソサエティ(上流社会)の暮らし
50年来の友人宅に宿泊。プール、テニスコート、屋内ジムなどありの金持ち。夫妻共、毎朝、コーチつきのテニス、週1~2回は、早朝ゴルフ。滞在中、セントーサ島でゴルフ、といっていた。ここには、米朝会談の会場になるホテルがある。街の中心地へ、車で20分とのロケーションなのに、緑いっぱいの静かな高級住宅地。ご近所を、今回も、毎朝散歩ついでに覗きまわった。アテネのパンテオン風の真っ白な柱の門構えのお宅、玄関脇の車庫には、超高級自家用車が7台も並んでいるお宅。テニスコートは、ほぼ、どこにもある。お手伝いさんが、夕べ落ちたばかりの葉っぱをひろっている。犬の散歩も、スクールバスを待つ子らの付き添いも、お手伝いさん。お手伝い(家政婦ーベビーシッター、洗濯係、食事係など)は、2~3名おり、フィリピン人女性がメイン。友人宅のお手伝いさんは、40年くらい前からの女性。25歳になったこの家の息子(医師)は、彼女に育てられたという具合で、生涯、この家で過ごすことになる。
今年の誕生日ー5月22日は、あのシャングリラホテルの中華レストランで、祝ってもらった。自宅のコレクションから、ワインを持ち込むことが可能で、しかし、持ち込み料金が高い、2~3本、買えてしまうほどの高額にショック。シャングリラホテル、米朝どちらの首脳が宿泊するのか。
外の温度は、35~6℃。屋内は、20~23℃、どこへ行っても、寒い、寒い、シンガポールでした。散歩の途中で、毎朝、買ってくる日経新聞(480円也)を1時間ほどかけて読むのが、なんとも楽しい時間でした。
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