2018年5月16日水曜日

憧れのカール・マルクス  生誕200年で映画に

映画・The Yong Karl Marx(元タイトル)
連休前、神保町の岩波ホールへ行った。日本語のタイトルは「マルクス、エンゲルス」。朝いちのつもりだったのに、50人ほど先客が並んでいた。若い世代は、ちらほら。2時間の内容は、マルクスとエンゲルスがパリで出会って、『共産党宣言』をロンドンで、発表させるまでのストーリだ。青年マルクスとエンゲルスが、外出時には、必ずシルクハットを被り、ヒマがあれば、赤ワインを飲みながらチェスに興じるふたり、マルクスの執筆は付けペン、鮮明に覚えているシーンだ。マルクスに共産党宣言、資本論を書かせた時代は産業革命で、イギリスが富んだ時代、労働者が搾取された時代、というのも、時々描かれている。「万国の労働者よ、団結せよ」、共産党宣言が発表された映像は、さすがに感動だった。前の方の席で、拍手する人もいた。感動に手を叩く、共有する人もいたにちがいない。共産党宣言も、資本論も神保町で、どの古本屋にもあった〈大月書房)。そういえば、イスラエルのキブツ(集団農場)で、働いていた時、招待されたキブツメンバーの個人宅で、書棚にドイツ語の『資本論』があったのを思い出す。マルクスは、ドイツ生まれ
のユダヤ人だ。

マルクス生誕地への中国政府の贈りもの
生誕200年を祝う生誕地ドイツ西部の町トリ―ア市に、マルクスの銅像がプレゼントされた。贈り主は、中国政府(中国共産党)。北京で開催された生誕200年記念行事で「中国共産党は、マルクス主義を新時代の中国の現実と結合させ、中国民族の偉大な飛躍をも
たらした」、習近平国家主席。ソ連のスターリン、レーニン、キューバのカストロ、ゲバラなど、とっくにマルクス主義を卒業しているのに、いまだマルクス主義の忠実な信奉者
が中国。といっても、市場経済、自由貿易、言論統制、一党独裁など、マルクスが宣言した共産主義とは、ほど遠い現実だ。ともあれ、「友好の贈り物」(中国側)、贈られたドイツでは、「毒のある贈り物」(新聞)と報じられたいる。モリ・カケ問題で、超多忙な日本の共産党、どんな生誕の行事をしたのだろうか。

マルクスの元追っかけ?
岩波文庫の「共産党宣言」は、常時かばんにあった。難解な「資本論」、全編購入するも
結局、通読せず。しかし、ついで旅のロンドンでマルクスの墓へお詣りした。ボンにあったドイツ社民党本部の地下のアーカイブで、ご本人自筆サインのエンゲルスの書簡を見せてもらったこともあった。マルクスが資本論の執筆をしたという大英博物館へも行った。
紡績工場の労働者たちが、搾取に抗議、蜂起したというマンチェスターへも行った。
この三月まで在籍の都内私立大学では、学生の単位習得科目に、マルクス主義なんかは、
出てこない。勿論、資本論なんて出る場もない。古本屋にも、それら関連本は、ほとんどない。5月1日のメーデーで、行進しながら歌った「起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し、
いざ闘わんいざ、ふるい起ていざ、ああインターナショナル、我等がもの」なつかしい。

2018年5月10日木曜日

気ままに乗り鉄 中央線名古屋駅~長野駅

中央線は、新宿発だけじゃないんだ
 連休も終わった。旅に出る人、旅から帰る人のニュースを毎日、テレビや新聞でみせつけられながら、「連休がすんだら、行くぞ」、を繰り返していた。諸般の都合で、5月9日は、「旅日和」と決めていた。何度も、JR時刻表を取り出し、あっちか、こっちか、そっちか、悩みまくり、結局、日帰り可能旅に。太平洋側から日本海側への「乗り鉄旅」。
飯田線を済ませたので、次は、中央線、ということに決定。時刻表には、中央本線(名古屋~塩尻~長野)、とあり、もひとつ中央本線(新宿~甲府~松本)もある。中央線は、新宿発だけではないのだ。
朝いちで名古屋へ
 天気予報は、しっかりチェックしていたが、予報大当たりで、どしゃぶり、傘もさせないほどの大雨だった朝5時に出て、下半身びしょぬれで、それでも時間通りに東京駅着。
ジパング割引可のひかり乗車。新幹線通勤の客が多い。熱海のトンネルを出たら、雨はやんでいた。富士山は、見えない。富士川も、大井川も、天竜川も、濁り水。浜松を過ぎた頃から、青空がちらほら。名古屋の駅ホームで、きしめん(350円)食べて、お掃除おじさんに、濡れた傘を引き取ってもらった。六両編成の特急『しなの』は、指定も、自由席もガラ空き。車内販売もあったが、持参の浅草ぺりかんパンと、今朝煎れたコーヒーで一日を過ごした。
中山道・木曽路を走る
 お天気は、まあまあ。山間部が多く、トンネルも多い。新幹線ほど速くないので、車窓
は楽しい。中津川、南木曽(なぎそ)、木曽福島、左に木曽川を眺めながらの旅。なんども歩き旅をした中山道・木曽路。歩かないのがもったいない。途中で、菅笠を被ったオーストラリア人ご一行さま(7名)も乗ってきた。自分の足で歩いて旅する外国人、大いに歓迎でーす。塩尻へ出たら、松本はすぐだ。曇が低く、北アルプスは見えないが、どこら辺が、どの山並みか、わかります。さらにガラ空きになった特急が明科方向へ曲がった頃から、水をはったたんぼが出てきた。今回の旅の目的のひとつは、沿線のたんぼの様子を
視察することだった。線路のメインは、木曽川と山間部、田んぼはあまりなかった。ようやく出てきた田んぼ。おそらく今週末あたりが植え時なのだろう。12時54分に長野駅に着いた。乗り換えの新幹線(金沢発)が来るというので、走った。ホーム売店で新聞を買うつもりが、売り手の女性が、はい、はい、とお金と引き換えに袋を渡してくれた。あわてて列車に乗り込み、袋を開けてみたら、なんと、長野名物の「とうがらし」が入っていた。名物八幡屋磯五郎、元文元年(1736年)創業という、ありがたいとうがらし。
午後3時前に上野駅着。晴れていたけれど、神明町には、水たまりがあった。(5月9日)

2018年5月2日水曜日

課外・部活「南北朝鮮のコト」

南北朝鮮が統一する?
 「南朝鮮=韓国・SOUTH KOREA」、「北朝鮮=NORTH KOREA].ここら辺が、ややこしい。横文字の南朝鮮は、訳すと韓国。戦後の東西冷戦時、中国の後押しで戦った北朝鮮、国連軍という名のアメリカ軍が代理介入の韓国、北と南の朝鮮戦争が、とりあえず休戦したのは、1953年だった。両国首脳会談は、65年ぶりでのことだった。両国境界の板門店は、今も双方の武装兵士が立つ戦争状態。板門店には、2回行ったことがある。(韓国の二名の大統領が北を訪問したことはあるが、北の首脳の南訪問は、初めて)。

こんな朝鮮体験
 高校時代、クラスメートのO君が、「母国朝鮮・北へ帰ります」、と挨拶。日本名だったが、在日だったことを知った。あの頃は、在日の朝鮮人が、75000人も北朝に帰還した。O君もそのひとり。たまーに、どうしているか、と。
 パリでの国際会議に出席していた時、ホテル内の日本料理店を借り切って、「北」の大使館スタッフ(?)が、各国出席者を食事に招待していた。いわゆるロビー活動。おみやげに、金日成の自伝本(各国語版)を配っていた。なぜか日本の野党代表が協力していた
 関東大震災だけでなく、戦前、戦中、在日朝鮮の人たちの多くが、強制連行、強制労働を強いられていた。日本が大敗した戦争にもかり出されていたことは、明白。慰安婦問題
それに、最近では、徴用工像問題など、被害者側の言い分、わかる気がする。
 
韓流映画2本
 韓流映画は、冬のソナタ、だけではない。”The King"と、「タクシードライバー」の2本を観た。前者は、司法に携わる青年が、体制の腐敗に挑むというストリーで、朴大統領(朴槿恵全大統領の父)、全斗換、金大中など実名で、出てくる。政治家は、どこの国で
もスキャンダラスなのだ。
 後者は、民主化運動の先駆けだった光州事件(1980年)。事件取材のドイツ人記者
を乗せたドライバー、戒厳令下の光州へ。ここで起きた軍による市民、学生たちへの弾圧、拷問のシーンは、凄まじい。実話だそうだが、現職大統領を監獄へ、を実現した国民の背景わかったような気がする。
 「南北朝鮮の首脳が、にこやかに握手し、抱き合うシーンは、銃を持ってた高くシーン
  よりもいい」。北の金正恩、まるぽちゃの、愛すべき表情に見えてしまった、が。

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