2022年9月24日土曜日

久しぶり 新幹線で ちょい旅へ

 9月21日朝、いつものように起床、4時。昨日、あんなに降っていた雨、今朝はやんでいた。台風は、おきまりコースで東北からぬけて、温帯低気圧に。まだ、暗いので、よくわからないけれど、ま、大丈夫でしょう、行くか。3POも、般若心経の読経、エアロバイク漕ぎもいつもの朝のように、こなす。

5時50分の北千住行きバス、いちばんのバス、これに乗る。ちょっと小雨がおちてきたけれど、ま、行ってみよう。上野行きの常磐線電車、6時20発、それほど混んではいないけれど、もちろん座れない。女性客は、ちらほら、少ない。オトコがほとんどで、それも7~8割が中高年のおじさんたち。みーんな、しっかり眠っている。立ったままで目をつぶっている人も。くたびれているんだね。昼間の乗り物では、ほとんど全乗客がスマホをいじっているのが、車内風景なのに。

上野発6時58分の新幹線あさま601号、長野行きに乗る。東京駅発の新幹線、がら空き状態だったが、大宮駅へついたら、どーんと乗ってきた。通勤客だ。ほぼ満席に。でも熊谷、高崎駅でほとんど下車。列車が、高崎を出て左へ曲がる頃、車内は5名。外は、降ってはいないけれど、曇り空。浅間山は、見えない。8時7分、軽井沢駅に停車。1名、下車、乗る客なし。

8時26分、上田駅着。ここで下車。ホームを出て、端っこにある上田鉄道改札へ。人気(ひとけ)なく、「スイカは使えません」の張り紙。ホームを見ると列車は、スタンバイしており、窓口で、「すいません」、と大声をだすと、中から男性が出てきた。帽子に線が入っている。駅長さんだ。往復切符を下さい、というと、すぐ出してくれた、1100円。

8時41分発、別所温泉行。本日の目的の上田鉄道別所温泉行の電車に乗車。えっまだ9時前なんだ。2両編成、でワンマンだけれども、なぜか、さっきの駅長さんが乗っていて、車内切符係をしている。通勤らしい客が、11名。途中駅で、みなさん下車。始発の上田駅から終点の別所温泉駅までは、30分。これに乗るために、はるばるやって来たのです。

実は、この路線、北国海道の歩き旅の時、高齢者グループを引率しての旅、単独ついで旅、そして今回で4回め。車窓からは、周辺の低い山々が見え、線路すれすれに、すすき、コスモス、朝顔が風に揺れている。電車の、のろのろスピードがちょうどいい。

線路は、ほぼまっすぐ。人家の間を走る。この路線、結構古い。大正10年(1921年)に開通というから、歴史を感じる。今は、途中の駅、全て無人駅だが、木造の駅舎は、歴史を感じる。別所線をアテに建てられた大学や、メディア情報センターなどが沿線にある。

終点別所温泉に着いた時、乗客は1名だった。だーれもいない駅。ここも無人駅で、乗ってきた駅長さんが、終点駅構内の点検をしていた。

まだ9時すぎ、次の列車は、1時間後なので、せっかくきたんだから、と坂道を15分ほど登る。そこにあるのが『北向き観音』さん。北の長野の善光寺さんの方向を向いて立っている、ということで、知られている。薄暗い建物の中の観音さんに手を合わせる。あの時は、ここから北国海道を善光寺まで歩いて行ったっけ。

北向き観音は、都内にもある。三ノ輪の明治通り交差点近く、昭和通りを西に入ってところ荒川図書館脇にあり、行ったことがある。

10時40分、上田駅に戻る。戻り列車には、学生さん、ご近所の高齢者など20名ほどの乗客、結構、利用する人たちがいるんだ。

まだ、早い。まっすぐ上野に戻るには、早すぎ。ということで、行ってみるか、長野へ、ということに。上田は、晴れていたのに、10分ほど乗った長野は、曇り空だった。せっかくなので、長野といえば、善光寺。駅から外へ出たら、バスが待っていた。善光寺さん行き。山門近くで下車。参拝者は、ちらほら。山門入って右側、いくつか宿坊があるが、ここに泊まったことを思い出した。お参りをして、山門に戻った頃、急に雨がおちてきた。バスがきた、すぐに乗った。駅からまっすぐの善光寺さん参道、両側の店、かなり閉まっている。インバウンドの影響がここでもおきている、そんな感じ。駅に着く。濡れずにすんだ。駅構内の立ち食いで、新そばのかけ310円を食べ、金沢ではなく、長野発の新幹線各駅列車に乗り、14時22分、上野駅着。

久々の新幹線、長野電鉄別所線、どっちもよかった。おまけの善光寺さんも。


2022年9月22日木曜日

紙製だった ランドセルの話

 戦争のリアル「紙のランドセル」、という見出し。(朝日新聞9月20日)

『こんな学歴 あんな職歴 そして今、隠居』の中で、私は、こんな思い出話を書いた。

    ー疎開先で終戦を迎えた私。小学校は、二学期から始まった。東京のだれかから送って貰った赤いランドセルで学校へ。ところが、当時、モノ不足の折、ランドセルなんかもっている子はおらず、クラスメートのあこがれの的になっており、それが我慢できなかった。学校帰りに会ったどこかの「犬」にランドセルを背負わせた。びっくりした犬は、ランドセルを背負ったまま、桑畑の中を走りまわった。新品とはいえ、素材もよくなかたのか、赤いランドセルは、原型をどどめないほど、ぼろぼろ状態になってしまった。翌日から、しばらくの間、教科書、ノート、筆箱を風呂敷に包んでの通学となった。

というのが私の体験だが、これと同じ体験の話が新聞に載っていたのだ。

「戦争が進むにつれて、革製品の使用が制限されて、紙や竹に置き換わったのだという。(略)母親が隣町まで自転車をこぎ、やっとのおもいで買ってきてくれた厚紙製のランドセル。赤い花の模様は、雨で色落ちして、溶けてしまった」(2008年投稿欄より)。

そうだったのか。あの赤いランドセル、紙製だったのだ。犬が背負ったまま、畑の中を走りまわっているうちに、ぼろぼろになってしまったわけが、よーくわかった。紙製のランドセルが、実際に出回っていたという思い出を共有している人がいた。

「紙」といえば、当時、米軍キャンプ内で、クリーニング店をしていた父が、時々持ち帰ってきたのが、英語の雑誌。英語の理解は、全く出来なかったが、あのすべすべのアート紙の感覚が、珍しかった、まぶしかったのを覚えている。あの時の手触りの感覚、今でも覚えている。当時の教科書の紙といえば、黒っぽくて、ガサガサの、今おもえば、ひどいもんだった。あれ以来、今日に至るまで、「紙」に対する思い入れが、特別のものとなっている。「紙」、大好き人間です。「本」の収集も、その一環かも知れない。海外でも、行った先の街で、必ず立ち寄るところ、本屋と文房具店。ノートはじめ、紙製品が気になる。買ってしまう。ほとんど、びょーき、って感じ。

               

2022年9月2日金曜日

ぬれ煎を 買いまくって乗る 銚子電鉄

今朝のニュースで、ゴルバチョフさんの死亡が伝えられた。91際だった。

モスクワのクレムリンで、ゴルバチョフさんに会ったのは、1985年。それ以前に会ったブレジネフ書記長と比べると、この人、やり手だな、違う人種だというのが、直観。ブレジネフ書記長とは、1982年に、同じクレムリンで2時間ほどの会談だった。冒頭の30分間、事前にタイプされた原稿を抑揚なく読み上げる、というブレジネフ。一方通行の会談で、おきまりの内容だった。

ブレジネフ亡き後に登場のゴルバチョフ、どんな人だろうと同行者たちと話し会っていた。会談の部屋で、待っていたら、ニコニコしながら入ってきたゴルバチョフさん、10人ほどの来客者たちと、ひとりひとり握手。会談の前に、こちら側出席者の紹介があり、軍縮代表団の団長だったソルサフィンランド首相が、「フィンランドのクロススキー大会を完走し、人々からシス(ガッツ)と呼ばれている日本のタグチさん」、と紹介。と、ゴルバチョフさんは、「わが国にも、冬のスキーが出来るところがたくさんありますよ。そう、日本からならばウラジオストック、ぜひいらっして下さい。歓迎します」、と。

そのゴルバチョフ、ペーパーなしで、自ら主張する「グラチノチス」(情報公開)や、「ペレストロイカ」( 政治改革)について言及。東西冷戦の終結、核兵器削減の提案なども主張されていた。書記長になって、初めての外国からの代表団だったのが、われわれだったということを、後で知った。

そんなことを思い出しながら、本日の乗り旅へ。8月最後の日、8時すぎのバスで、綾瀬駅へ。ここで新小岩駅行きの路線バスに。片道25分なので、JRで秋葉原経由よりも早い。バスも、道路も、空いていた。曇り空。新小岩駅から千葉へ。ほとんど待たずに快速に乗れた。市川、船橋、津田沼、稲毛に停車。グリーン車つき。9時50分、千葉駅着。

同じホームから銚子行きのドン行が、10時17分発。4両で、前後がボックスシート車両だ。うれしい。勿論、ボックスシート車に。乗客は、申し訳ないほどで、6人。ガラガラです。なのに、冷房がガンガン利いていて、寒い。佐倉駅で、ゴロ曳トランクの客が下車。ここから成田空港へ行ける。

八街を過ぎた頃から、急に空が明るくなった。車窓には、茶畑が続く。落花生だけでなく、お茶も出来るということがわかった。あれっ 柿が色づいている、黄色くなっている。はずです、明日は、9月1日。田んぼでは、稲刈りのまっ最中。ぜーんぶ機械化で、働いているのは、1人か2人。各駅停車なので、ひとつづつ停まる。駅は、ほとんど無人駅。それに特急の通過待ちで、10分、15分、と待たされる。先日乗った東金線の乗換駅の成東駅。ここからは、見えないけれど、右側、田んぼの向こう側は、九十九里浜。風力発電の塔が並んで見える。

銚子駅着は、12時17分のはずだったが、10分ほど遅れた。なのに、目指す銚子電鉄の電車が、ホーム先端で待っていてくれた。今着いた、こちらの同じ電車からの客、20名ほどが、走った。

銚子電鉄。この日のお目当ては、銚子電鉄です。実は、昨日の夕刊(朝日)に『ローカル線物語 銚子電鉄』の記事があり、行ってみるか、になったのです。以前、犬吠埼灯台の近くのホテルに泊まった時、朝の散歩のついでに、この銚子電鉄に乗って、銚子駅を往復したことがあった。お目あての「ぬれ煎」は、まだ店が開いてなく、買えなかったけれど。

さて、この日の銚子電鉄、すでに乗っている客もおり、2両編成で、50~60人ほど。早くなく、ガッタン、ゴットン、文字通りの乗り心地。この音が、なんとも言えない。線路の両側は、ほぼやぶ、木や草が、しっかり生い茂っており、たまーに、民家がポツン、ポツン。地元の客といえば、ほんの2~3名が、乗り降りする。あっという間に終点駅。全長6.4キロ、9駅、乗車時間は、15分間。

終点駅で全員下車。改札を出ると、記念品を売る店。客のお目当ての、あのぬれ煎が、どーんと置いてあり、行列が出来る。みんな大量に購入。大きな袋いっぱいの人も。食べても音がしない、しめっぽいせん餅なんて、煎餅とはいわない、というコンセプトなので、勿論、買わない。少し色落ちした絵葉書を買う。15分ほどで、銚子行きの戻りの列車が出る。ほぼ半数ほどの客が乗る。この電車、乗車券は、往復で700円。15分で銚子駅に戻る。

銚子駅に戻ると、ホームには、電車が待っており、成田行きに乗る。四両で、これにもボックスシート車がついていた。ラッキー。客は、2人。右手遠くに鹿島灘の工業地帯、煙突が見える。これも普通列車なので、各駅に停車。乗る人、降りる人、ほとんどなし。最後部に車掌はいるが、ほとんどアナウンスなし。停車する駅ホーム、駅名を書いた看板が古くなっていて、ペンキがはがれ、読み取れないほど。JRも貧乏なんだ、と。田んぼの中を線路は走る。秋ですね、収穫の秋。本日、3つめのトンネル。千葉県は、平らなんですね。

2時すぎ成田駅着。余裕なく、向かい側のホームの我孫子行き電車にとび乗る。我孫子は、成田線の続きなのだ。もうボックスシートはない。空港からきたらしい大きな荷物のインド系の男性2人と、日本人高齢男性1人。途中で下車。30分ほどで我孫子着。

上野行きの常磐線に乗り、松戸で千代田線に乗り換え、綾瀬駅着。改札口で、スイカを通すと、396円、だった。朝、新小岩駅でスイカを通し、その後、どこの駅でも、改札から出なかったので、新小岩~綾瀬間の乗車、となったわけ。銚子鉄道の700円を除き、約6時間乗車のJR料金が、396円、だったということです。なんとなく、得したな。