2021年7月2日金曜日

酒育大学卒業作品

何年くらい前だったか、こんな大学へ入学した。酒育大学。某有名なお酒の会社が主催する大学で、その大学の学長が、吉永みちこさん。そう、あの有名な吉永さんです。テレビなんかに出ている、もの書きで、知り合いでした。彼女が学長をやるんで、生徒が集まらないとまずいので、ということで、友人何人 かで、入学することになった。

酒育大学は、月1~2回の開催で、夕方の2時間ほどの授業、その後、場所を替えて、ほんもののお酒をいただく、というもの。30人ほどの生徒中、10名くらいが女性でした。講師陣には、結構有名人が多かったような気がします。たしか、最近まで学長だった田中優子先生、いとうこうせいさんなどもいました。もちろん、吉永学長は、毎回の出席でした。

酒の作り方、酒の歴史、酒と食べ物、世界のお酒、酒と芸術などなど、結構、毎回楽しかった。もちろん、全授業皆勤。卒業論文ならぬ卒業文集を提出、その全文が最近、出てきました。その作品からの抜粋です。

学生証 貰って今日から 酒学生   学割なしの学生証、久しぶりの学生証、それも大好きな酒大学のピカピカの新入生。 

昔より よき酒飲みは 文化人    ご自身銘柄酒で登壇の先生曰く「飲酒は文化なり」と。だったらわたしは、文化人。文化の日の意義が見えてきた。

酒文化 深くてひろい その歴史    お酒の歴史は、人類の歴史。日本だけでなく、アジアでも、アフリカでも、勿論、欧米でも、アルコールなしの民族は、存在しない。

酒なくば 懐石料理 成り立たず   千利休からときおこし、お酒なしの懐石料理、ありえない。納得です。

放課後が なぜか楽しみ 酒育大学  「本日の授業は、ここまで」のアナウンス。待ってたよ、です。

現世(いまどき)の おんなは 酒を友として  街道宿場の遊女は別格。おんなは、お酒を注ぐ係りだったが、いいご時世になりました。

音楽に お酒があれば ああ 極楽   いい音楽にいい友と、お酒があれば、ああ極楽。 

今日卒業 留年したいよ 酒育大学   卒業式、うれしくないです。もっといたいよ。

        楽隠居 お酒と共に 大往生

2021年7月1日木曜日

ちょい旅ー飯山線

 感染予防続きで、なかなか「旅」っていうわけにもいかず、それでも高齢者対象のワクチン2回がすんだので、そろそろ行くか、と考えていた。北千住の駅ビルの本屋で、なにげなく山頭火の本を手にした。ぱらぱらっと10分ほど。で、「やっぱり旅だよね、旅ですよ」、なんてひとりごとをいいながら、駅の切符売り場へ。次に行くべき旅の企画書を書いたジパング俱楽部の手帳(高齢者割引)を持ち歩いていたのだ。そのうちのひとつ「飯山線」に決めた。「明日、行くぞ」。そういえば、6月最後の「旅」だ。連休からどこへも行っていない。

翌朝、6月29日、東京は大降りの雨。それでも、行くきゃない。傘をさしても濡れるほどの降り。5時30分、いちばんバスに。4名の乗客。高齢者ばかり。こんな天気でも、お勤めなんだ。電車にの乗っても、スマホを手にした、見慣れた若者たちの姿はない。高齢労働者たちが、ほぼ全員、眠りこけている。7時、上野駅到着。すぐにきた新幹線に乗った。長野行きだった。ホーム向かい側の仙台行きも、空いている。途中の大宮駅で、かなりの人数の人たちが、乗ってきた。熊谷で、そして、高崎駅で、ほとんど下車。地方から東京へ通っている人も多いけれど、東京から地方へ通う人も多いのだ。新幹線通勤者たち。

8時5分の軽井沢駅では、乗る人も、降りる人もいない。外は、雨。浅間山は見えない。

8時37分、終点の長野駅に着いてしまった。さあ、どうするか。時刻表をみたら、飯山線の次の列車は、11時15分。2時間待ち。で、飯山駅に停まる新幹線に乗ることに。といっても、1時間待ちの9時26分。待合室はあるものの、人はいない。飲食店もすべて閉まっている。改札の外へ出て、コンビニで、あんぱん一個ゲット。

金沢行きの新幹線に乗ったら、長野駅から、飯山駅まで、たったの10分間だった。なんだかむなしいって感じ。

飯山駅は、もちろん飯山線の駅だが、新幹線が1時間、2時間に1本程度停車駅なので、駅そのものは、閑散としていて、電車のこない時間帯には、人がまるでいない。電車がこないから人は、いないし、店はあるけれど、開いていない。

11時15分、ようやく越後川口行きの列車がきた。二両編成で、女性の車掌もいる。なかなかのレトロな車両で、ボックスシートとソファーシートで、全体的にゆったりしている。野沢温泉駅、乗る人も、降りる人もいない。野沢温泉には、クロスカントリースキーの大会で、2回来たことがある。その時は、たしかバスだった。

列車は、そう早くなく、いい感じのスピードで走っている。車窓からは、わらびのほけたのや、うどの白い花、民家の近くの畑のジャガイモの紫色の花も見える。なんだかシベリア鉄道に乗っているみたい。

桑名駅、つぎに上桑名駅と続くので、線路右側を流れる川が、桑名川かと思っていたら、おおまちがい。千曲川だった。あの千曲川が山梨の甲府の方から、長野へ出て、飯山線沿いに流れて、信濃川に入り、日本海に注いでいるのだ。

野沢温泉駅、雨がやんだ。ここで、2両あった車両のひとつが、切り離された。女車掌もここまでで、この先、終点の越後川口まで、ワンマン列車に。乗客は、まったく変わらず、摂り鉄さん4名(全員おとこ)、乗り鉄(おとこ1名、おんな2名)。乗り鉄の男性は、革靴の高齢者、もひとりの女性は、茶髪の、ちょっと派手めの30代、40代で、ソファーシートでみかんを食べたり、だんごを食べたり、ときどき景色をしっかり眺めており、終点までご一緒だった。

この列車は、観光列車だった。名称「おいこっと」号。なに語かと思ったら、日本語のo逆さ読みだった。TokyoをoykoT「おいこっと」、なんだそうです。考えすぎ、冗談でしょう、飯山線の目玉観光列車だったんです。よく見ると、内装に金をかけているって感じで、座席は、田舎風の格子縞、窓枠の内側の日除けは、障子柄、という具合で、なかなかの感じでした。

豪雪地帯を走る列車の車窓からは、山と、田んぼと、民家は、三階建てで、一階部分は、コンクリートで、二階、三階が居住部分、冬は、二階から出入りするのだ。屋根は、トタン張りで、雪下ろししやすいようにできている。

森宮原駅で20分ほど停車、対向列車待ちだ。ここは、「日本最高積雪地点・森宮原駅」の大きな看板が、立っている。そういえば、苗場スキー場、法師温泉、猿ヶ京、三国峠は、山の向こうだ。

津南町駅で、客がひとり乗った。13時すぎに十日町駅、そのまま終点の越後川口駅へ。ここで上越線に乗ろうかと思ったが、これが、またまた、来ない電車。折り返し列車でもういちど十日町へ。十日町は、やはりクロスカントリースキーの大会で来たことがあった。越後湯沢からのバスだったような気がする。40分待ちで、北越急行で、越後湯沢駅へ。十日町では、雷、夕立のがちゃ降りだったが、越後湯沢は、降っていなかった。

この先は、順調で、15時9分の新潟からの新幹線(2階建て)で上野まで。こちらの新幹線は、結構混んでいて、それも高齢者夫妻、高齢者仲間連れが多く乗っていた。ワクチン終了効果なのか。16時22分、上野帰着。

それにしても、待ち時間の多い旅だった。