2026年3月30日月曜日

旅立ちは 満開さくらに 送られて

先週、先週末、卒業式が行われたようです。 幼稚園は、卒園式っていうらしい。綾瀬駅近く東京都武道館では、毎日のように、着飾った女性たちが出入りしていました。

女性が和服姿になるのは、成人式、卒業式ですが、男性は、成人式には、和服もいるけれど、卒業式に「和服」っていうのは、ないみたい。もひとつ、卒業式では、女の子、男の子、いずれにも父兄同伴(ほとんどが、お母上)なのに、成人式での「ふけい」同伴ってえのは、ないみたい。卒園式といえば、ご両親同伴が多いそうです。そのため、土日の挙行が多いとのことです。

そんな卒業式、いくつもやったことになっているけれど、自分は、どうだったのか、思い出す努力をしてみました。

幼稚園、東京は、中央区木挽町、今の東銀座です。生まれたのが聖路加病院、幼稚園は、病院の近くだったらしい。写真が一枚あったけれど、記憶皆無。小学校は、疎開先の埼玉県、こちらも、終戦直後だった入学式、新品のランドセルを「犬」に背負わせて、ぼろぼろに破壊、その後、教科書を包んだ風呂敷を背負っての通学だったことぐらいしか思い出せない。中学校時代は、足立区内中学に転校、チャリで神田神保町の古本屋に通っていた、修学旅行は、松島(写真があるので、そうなんでしょう)、卒業式ってあったのかな、思い出すことはない。高校時代、とてもよく覚えています。でも、勉強のことではなく、「遊び」のことどもです。30分ほど歩いての通学、バスケット部、陸上部にはちょっと、落研(落語研究会)などにも入っていた、とにかく、誘われれば、やってみる式で、ちょい役だったけれど、文化祭で、英語部の「リヤ王」劇に出たことも。卒業式より、式ーその後、綾瀬駅近くの食堂で、打ち上げと称して、卒業式その2を盛大にやりました。ちなみに、当時の高校では、男子校だったので、1クラス男子50名、女子6名だった、女子は、貴重品(?)だった。

大学時代は、大学紛争真っ盛りで、学生運動のために家を出て、蒲田で下宿したこともあった。入学式とか、卒業式など、学生が集まる公式行事は、なかったようだ。大学院は、たまーにゼミナールに出席する程度で、論文は、しっかり書いた、提出もしたが、その後、国連に就職するために必要な書類を貰いに行ったのが、唯一事務局に顔を出したということに。

こんな具合の卒業式、思い出すことは、ほぼない。母親が学校に来たことは、いちどもありません。運動会、文化祭などの行事にも、来ませんでした。父親が洗濯屋で、多忙で来られなかったのではありません。母は、今で言うと、運動の活動家だった、女性運動、消費者運動などにはまっていたみたいで、忙しく出歩いていたみたいで、子どもどころではなかった。だから放し飼い状態の子どもは、早いうちから好き勝手の毎日を過ごすことが出来たっていうわけです。

ま、人生、いろいろある、今、思い出しても、わが親の子育ては、よかったんじゃあないのかなあ。



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