2022年12月20日火曜日

長かった 寝不足続いた W杯

ワールドサッカーが終わった。アルゼンチンとフランスが決勝戦に。前半の様子では、アルゼンチンが優位に、しかし、後半戦ではフランスが得点で挽回、延長戦でも決まらず、PK戦でアルゼンチンの勝ち、という結果になった。昨日の早朝、いつもの起床時間4時、「あゝ やっぱり見てしまった」、とひとりごと。

実は、日本が勝ったドイツ戦、スペイン戦、勝ち進んでいたので、そのつもりではなかったのに、テレビ観戦をしてしまった。もちろん、3戦めのクロアチア戦、やっぱり見てしまった。これまでの人生で、サッカーは、それほどのスポーツではなかった。関心度は低かった。なのに、なんで、84歳の今になって、と思った。PK戦というのもはじめてで、なんのことなのかを知った。penalty kickの略語。それに、サッカーでは、ボールに「手」を触れてはいけないことも、知った。

出場の選手たちの国、いろんなことを思い出すきっかけでもあった。

モロッコ、そうそう、あのモロッコのサハラ砂漠を走ったっけ。セネガルのダカールでは、国際会議で、まだ有名になる前の、獄中から出所したばかりの南アフリカのマンデラさんに会った。スーパーの袋からとり出したテープ(旧式)を「あとで、聴いて下さい、私のアパルトヘイトへの闘いの人生が、入っています」と。会議出席の各国代表たちが、まだ彼に注目していなかった・・・・

アルゼンチンのブエノスアイレスでは、市長選挙に立候補の男性の選挙応援をしたことがあった。市内の貧困層地域で、子どもたちが、サッカーをやっていた。

サッカーの試合を見ながら、自分の人生の思い出シーンを、思い出す日々だった・・・

それも、昨日で終了。なんだかほっとしたけれど、さて、どうするか。こういうのって、もしかしたら「W杯ロス」状態。

せかせかと 音がするような 今 師走

巷は、いつの間にか師走。あと2週間で「お正月」なのである。今朝、都内足立区神明町で、初氷。新潟では、想定外の大雪で、大変らしい。そういえば、今年は、想定外がいくつもあった。首相が撃たれて死亡、ウクライナにロシアが軍事侵攻、統一教会問題、北朝鮮のミサイル発射などなど。コロナも継続案件。

生きていることが、めっけもん、って感じです。

といいながら、ほぼ毎日、乗り鉄、路線バス乗りを実行しています。都心、観光地を避けて、相も変わらず、埼玉、群馬、千葉、茨城、首都圏東部地域です。同じ電車に乗っても、乗客はいつも違う、車窓からの景色からも、季節の移り変わりがわかる、線路の上を走る車の音も、毎回、違う(ように聞こえる)。電車もバスも、いつも、どこでも、ゆっくり、ゆったりで、「ちょい旅」最高、です。という、贅沢三昧の日々であります。

2022年12月5日月曜日

朝の4時 走る車も ワールド戦

12月5日(月) 朝から曇り空。ここのところ、寒い日が続いている。12月だもんね。寒いよ、やっぱり。師走っていうんだから、寒くなくっちゃ。

テレビも、新聞も、ほとんど連日、サッカーが話題の中心で、普段は、関心薄い人間でも、なんとなく気になります。深夜、早朝のドーハ―からの試合が気になってしまう。恒例毎朝4時の3PO中も、携帯ラジオで実況を聞いてしまう。たまに会う早朝から働いている人たちの車の中からも聞こえてきます、ワールド戦の放送。サッカーって、昔は蹴球(しゅうきゅう)っていってたのを、思い出す。高校時代、ずいぶん昔のこと、バスケットボール部員で、体育館近くのバスケット部の隣りが蹴球部だった。ちなみに、バスケットボールは、篭球(ろうきゅう)といっていました。蹴球のルールは、あまり理解していなかったけれど、部室お隣り同士で、仲良くしていた。オトコばかりの蹴球部のコーチが、いい男で、みんなの憧れだったっけ。ドーハ―、本日は、試合は夜中だけれども、どうするか、起きていようか、迷っています。

ところで、アフガ二スタンで中村哲さんが殺されてから3年めということで、いろいろ報道されています。実は、あの中村先生に、お会いしたことがある。日本の総理府(当時)企画のアジア諸国を訪問する青年指導者団というのに参加した時のことでした。訪問先のバングラデシュで、たまたまお会いしたのが中村哲先生だった。現地で活動しておられる先生が、いろいろ話をされた際、「日本の私たちは、アジアの貧困のために何ができるんですか」と団員のひとりが、また「古着など送る、というのは」、などという団員もいました。

中村哲先生は、「日本から、なにかを送る前に、ぜひ実行していただきたいことがあります。それは、みなさん、古着を出さない生活をして下さい」、と一言。

今、私たちは、古着を出す生活に、どっぷりつかっている。大量生産、大量消費、そして、大量廃棄が日常的に行われている。それなのに、もっと、もっとを追求する、もっと、もっとの快適を望んでいる。せっかくやめる気になったのに、とめる気になったのに、原発再稼働が取りざたされています。原子力発電所の廃棄物、今ある廃棄物の処理方法がみつからないのに、どうするのか。

貧しいのは、よくない、我慢はしたくない、一生懸命働いて、お金を稼ごう、そして、「豊かさ」を手にしよう、という風潮が蔓延しているみたい。

もっと早く、もっと遠くへ、飛行機や、新幹線に乗って「旅」に出よう、ではなくて、もっと時間をかけて、各駅列車で、路線バスで、ゆっくり、ゆったり、「旅」に出よう。こんな発想、どうですかね。