何年くらい前のことだったか。ジプシーに会った。
ハンガリーの首都プタベスト。国際会議に出席中で、いつものように、毎朝、ジョギングに。街の高台にあるホテルから坂道を下って、ドナウ川岸にでる。しばらく川岸を走ると、西の方向、オーストリア方向、に草原というか、原っぱがあった。毎朝決まった時間に、バケツを持った男性が、歩いていた。近くの公園からくんできたらしい。3日めの朝、目が会ったので声をかけてみた。
「おはようございます、水汲みですか」、「そうだよ」と英語での返事。通じる、ことがわかり、いまどき、ヨーロッパで断水でもなさそうだし、どこへ運ぶのか、行く先をたしかめたくなった。草っぱらの端にテントが張ってあり、「ここに住んでいるんだよ」、とのこと。
次の日の朝、同じ時間に行くと、やっぱり、会った。道々訊くと、この一家は、ジプシーであることがわかった。ポルトガル、スペイン、イタリア、フランス、ギリシャら、ハンガリー、ブルガリアなどバルカン半島など、ヨーロッパ全土をほぼくまなく移動しているとのことだった。ジプシーの国際会議などもあり、いちど出たことがあるとも。
移動式テントは、モンゴルのゲルと同じ感じで、年期の入った中古自動車での移動。トルコ風のコーヒーをご馳走してくれた奥さんは、インド風のサリー姿で、顔つきは、彫りの深い、インド風だった。
急にこんなことを思い出したのは、ナチ時代、ユダヤ人迫害の本を読んでいたら、収容所へ連れていかれる前に、多数のジプシーが殺されたとの記述をみつけたからだ。現在はその多くが定住しつつあるとのことだが、友人のひとりウイーン在住のフリッツイの祖先は、チェコ(旧)に定住したジプシーだったというのを聞いたことがある。
ジプシーって、パスポートは、税金は、子どもの教育は、など、どうなっているのだろうか。あの時、もっと聞いておけばよかった。
ハンガリア狂詩曲(リスト)、サラサーテのチゴイネイルワイぜン、どちらもジプシー音楽、CDを聴こう。