2023年2月15日水曜日

梅見物 ちょっと早めの 筑波山

快晴ではなかったけれど、あったかな日曜日、2月12日。なんとなく、春かあ、梅かな、と綾瀬駅へ。梅といえば、水戸。行ってみるか、と東へ向かった。松戸で常磐線に乗り換える。休日でも、そう混んではいない。この一週間、なんだかんだと、ほぼ毎日、路線バス、のり鉄での「ちょい旅」に出かけていた。乗ることが大切なのです。ということで、本日も「ちょい旅へ」。

綾瀬駅(千代田線)を出て、松戸駅(常磐線)で上野駅からの快速に乗る。乗った電車、そっか、「土浦駅」、だった。内心、「水戸駅」のつもりだったが。進行方向左側前方に筑波山がみえた時、で、決定、「本日の行き先は、筑波山」。ターミナルステーションの取手駅下車。まっすぐバス停へ。15分待ちで、つくばTXエクスプレス駅行きが出る。男性客が2名、どちらもモバイルを熱心にみつめていた。

うーん、ここ駅前バスターミナルからは、合計6カ所に停留所がある。そっか、もしかしたら、ここから「お山」行きの路線バスがあるかも、と歩きはじめた、その時、一台のバスが走ってきた。「筑波山行き」の表示。えっ、やっぱりあったんだ、あるはずだよね、と叫んでしまった。バスは、そのまま行ってしまったが。

さて、取手駅からTX駅行きの路線バスは、時刻通り発車。これには、これまで4,5回は乗車している。この日の乗客は、4名。全員が終点まで。バスは、関東鉄道のバスで、車内アナウンスが、関東手鉄道は、今年で100年を迎えたことが伝えられた。25分で、つくば駅着。

さっそく、お山行きのバス停へ。出たばかりか、列のいちばん。さすが、つくば学園都市、インド(系)若者2名も並んでいる。旅行者(インバウンド)では、ないらしい。ほぼ満席で発車。車内放送は、日本語、英語、中国語、韓国語の四か国語。さすが筑波国際学園都市だ(でもない、綾瀬駅から新小岩行きバスでも、四か国語です)。英語では、筑波山のジオパークとしての歴史が語られていた。

しばらく一直線のメインストリートを走る。左側は、筑波大学のキャンパス、右前方に筑波山の赤い鳥居が見える、だんだん近づいてくる。大きく右折、たんぼ、畑の中を往く。徐々に上る、間もなく筑波山神社前で下車。この先のつつじケ丘へは、なんどか行ったが、ここは久しぶり。ま新しい観光案内所、立派なトイレ、みやげ店2軒が新設されていた。左側を上っていくと梅園が ある。「梅まつりは、来週、18日からですが、少しは、咲いているようですよ」、と案内所の説明。咲けば1000本というから、見ごたえはあるはず。でもあきらめて、赤い山門をくぐり筑波山神社へ。坂東巡礼でお参りにきたこともある。あの時は、この下のホテルに泊まったっけ。筑波山を山道で降りてきた人たちが、通る。時計を見るとあと10分で、駅行きのバスが通る。なんとなく、せかされるようにバス停へ。しっかり時間通りにバスがきて、乗車。ほぼ満席だったが、座れた。日曜日なので、道路混雑もあって筑波駅に着いたのは、1時すぎ。つくばTXで南流山駅で、武蔵野線に乗り換え、新松戸駅から千代田線で綾瀬駅帰着。本日も、無事、ちょい旅終了。

2023年2月10日金曜日

その昔  最上観音霊場 巡拝の旅

 最上川に沿って点在する三十三観音を巡拝する旅に参加しました。山形県内を西から東、北から南へ、というジグザグコースの観音さまを祀っている寺(観音寺)を、ひとつ、ひとつ訪ねる旅です。この旅は、ほとんど歩かず、東京から貸し切りバスに乗り、東北道から福島、米沢へと入ります。総勢33名、先達さん(千葉銚子の満願寺住職)、その手伝い2名です。

第1日 2003年3月7日

朝7時、浅草の浅草寺の駐車場を出発、まずバスの中で、旅の無事平安を願っての般若心経を全員で合掌しました。実は、これが団体巡礼初体験。にわか巡礼者の身支度。    次のようです。 巡礼衣(白衣上下)ー 3,000円、襟にかける輪袈裟ー2,000円、菅笠―高いし、今後、使わないかもしれないのでやめました。頭陀袋ー買わずに、白のてぬぐいで作成、靴ー白のスニーカー、金剛杖ーなし(買うと2,ooo円)。            三十三観音なのに、巡拝一番寺は、十一番からでした。この日は八、十二、九番の四か寺を巡拝しました。この順番は、この日の宿泊の温泉場に近づくような順番です。巡拝のしかたは、バスで寺の駐車場に入り、そこからちょっと歩いて寺の境内に入ります。まあ、ほとんど歩かずの山門入りです。だからこの日の実歩数は、4,000歩。上の山温泉の立派なホテル泊。巡礼にしては、超豪華な夕食に戸惑いつつ、おいしくいただきました。

第2日 7月2日 習慣で、いつものように4時起床。昨日の運動不足のため、1時間ほど周辺を散歩。ホテル前には、さくらんぼの朝市、みなさん、宅急便で送っていました。この日は、バスは南下、蔵王の麓の天童市あたりの九か寺です。バスを降り、先達さんの後をぞろぞろ並んで山門に。観音さまが祀ってある観音堂に入り、観音経、般若心経、ご詠歌、を唱えます。バスに戻り、次の寺へ、ということになります。本日も、晴天。宿泊は、天童温泉、ここでも豪華な夕食で、器の数が15もありました。宿は、ふたり部屋で、同宿者は、毎日変わります。3,700歩。

第3日  7月3日 ここでも朝のさくらんぼ市。朝食はバイキングで、他のお客さんと一緒なので、食前の勤行はなし。8時出発。出羽三山ー湯殿山、羽黒山、月山、めぐりです。観音さまなし、特別プログラムです。観光のような、見どころをバスで回りました。湯殿山では、霊験あらたかな足湯を体験、注連寺では、即身仏ー高僧のミイラに手を合わせ、夜は羽黒神社の宿坊に泊まりました。3,800歩。

第4日  7月4日  朝から小雨。でも、神社の敷地内、杉の大木の山の中を歩きました。なんとなく神秘な朝を実感。バスは、新庄市、天童を通り、最上川の橋をなんどもわたり、巡拝した寺、七つ。昼食は、車内で、稲荷寿司弁当。夜は、豪華、あの銀山温泉。川をはさんで、三階建ての歴史を感じる木造建築の宿が並んでいました。「おしん」に出てきたあの宿に泊まりました。外湯が無料だったので、夜も朝も、外湯にはいり、結局、旅館の風呂には入りませんでした。3,500歩。

第5日  7月5日  最後の日、残り全部を廻らねばならない。八か寺と三十三に含まれていない番外寺ひとつです。結願は三十三番ではなく、三十一番の寺。ここで、昼食のご馳走になりました。新米と鮎の塩焼き、これって、最高でした。この巡礼の旅で最高な味でした。庄内米って、やっぱりうまい。

ところで、巡拝の際、銚子の寺から持ってきたお背板(おせた)「観音像」を代わり番こに背負って、お参りし、お堂の中で、読経します。この日、ようやく、その番がまわってきました。お背板係は、編笠、金剛杖、お数珠が必要です。で、先輩さんに、お借りして先達さんの後に続きました。ありがたいことらしいのですか、特段、そんな実感なしでした。罰あたりかな。なお、お背板を背負わせていただくと、ひとり1回1,000円を観音さまに差し上げます。という儀式です。この日、巡礼最後の打ち上げは、潮見温泉。昨年、天皇さんがお泊りになったという立派なホテルでた。打ち上げの料理、食べ放題、飲み放題、花笠音頭もありました。宴会を抜け出して、入湯料100円の外風呂に入りました。最後の日、2180歩、歩いてないな。

第6日  7月6日   朝食後の8時、バスは帰路につく。午後2時40分、東京駅着。この日の歩数は、1,051歩。ほとんど歩いていない。



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2023年2月9日木曜日

オーストラリアで、チャリで825キロ

こんな こともあったんだ、と。終活のつもりで、片づけていたら、出てきたのが、オーストラリアで、チャリ旅をした時の記録。南オーストラリア州をほぼ一周するというチャリ旅。チャリ(自転車)にこっていた頃だった。日本国内のアマチュアの自転車レースにたびたび出場していた。乗鞍の山岳レースで、入賞したこともあった。北海道の知床半島一周なんてのも、やりました。そうした所で会ったチャリ仲間からの情報で、オーストラリア行きが決まった。主催は、オーストラリアの宗教団体で、日本からは15名が参加。12日間ということでもあり、中年チャリ愛好家で構成されていた。

第1日 1981年9月27日                    

成田空港出発 シドニー空港着。15台中、無傷だったのは、4台で、空輸中にあちこち曲がったりしており、出迎えの現地の方と、市内の自転車修理屋さんの店に移動。午後2時、今夜の宿YWCAにチェックイン。店でパン、ハム、ワインなどを買ってきて、夕食。ペンキ塗り立ての臭いのする2人部屋で寝た。

第2日 9月28日 晴れ

Sydney(シドニー)からLiverpool(リバプール)、Picton(ピクトン)まで60キロ。初日だったので、走行距離は短かったが、起伏の多い、きつい道。チームには、バスが並走してくれている。夕食は、、マッシュポテトとハンバーグ。ピクトンの森の中の牧場泊。寝袋だったが、寒さがこたえた。

第3日 9月29日 晴れ ゴルドバンまでの120キロ。本日も、急な坂が多い。6時、早めのスタートだったが、あまりの急坂に、チャリを降りて、押して歩くことも。東京から沼津間の距離が120キロ。コワレバン市の高台にある教会が、本日の宿泊地。夕食後、現地の人たちとの交流があった。毛布、シーツのある寝室で寝た。

第4日 9月30日 晴れ Goulburn(ゴルバン)からYass(ヤス)までの90キロ。オーストラリアがまっ平なところだという先入観、オーミステイクだった。とにかく坂が多い。途中、ラクダの群れに会った。本日は、ホームステイの日。地元の皆さんが迎えにきてくれた。教会での夕食会。夜空の星がとてもきれいだった。

第5日 10月1日 曇り 強風  Yass(ヤス)からYoung(ヤング)までの115キロ。出発して、すぐに道をまちがえた。地図をなんども見直す。風が真向いから吹いている、吹きっさらしの中、なかなかすすまない。それでも、車が少ないのがありがたい。村を過ぎると、アップダウンの多い道。かなりくたびれていたが、本日は、教会での礼拝に参加。長ーいお説教もあって、終わったら8時半をすぎていた。市内の中華料理店で夕食。スポンサーは、オーストラリア側。せっかくの中華だったが、あまりおいしくなかった。

第6日 10月2日 曇り 午後晴れ  young(ヤング)からForbes(フォービス)までの120キロ。はじめての平らな道路が続く。時速30キロ、なかなかのチャリ旅。リラックスして走れる。気分はるんるん。人家はほとんどなく、トイレは、橋の下、藪の中で。鼻歌を歌いながら走っていたら、突然、頭上にグライダーが近づいた。びっくり、これってオーストラリアのあたりまえの光景。衝突するかと思った。この日は、途中の牧場でいただいた肉でバーベキュー。レイバーデイで、商店街は閉まっていて、肉は、大助かり。郊外のキャンプで宿泊。

第7日 10月3日 晴れ  Forbes(フォービス)からORENGE(オレンジ)まで105キロ  走りはじめは、フラットだったのでに、ルンルンだったが、途中から急坂、それも登りがきつい。距離も長い。転倒者も出たが、たいした傷にはならなかった。カーパーク泊まり。町で買ってきた食材で夕食を作った。といっても、ラーメンライスに野菜炒め、でも、これが最高においしかった。寝袋。

第8日 10月4日 晴れ 春雷  ORANGE(オレンジ) 本日は、休養日。チャリの手入れ、修理など。市内の公園でコアラ見物。にわか雨、雷だ。ここオーストラリアは、今が春、ということは、春雷。夜は、教会で夕食、宿泊も。カレーライス、スパゲッティ、口にあったメニューだった。

第9日 10月5日 晴れ ORANGE(オレンジ)からLITHGOW(リスゴウ)まで125キロ。今回のコースで、いちばん長い坂だった。登り4キロ、それほど急ではないけれど、とにかく長い。下りも長かったので、時間を稼げた。なぜか早めの到着。チャリ慣れしたのかも。本日は、教会で食事、宿泊は、ボランティアのご家庭に民宿。

第10日 10月6日  晴れ LITHGOW(リスゴウ)からKATOOMBAZ(カトムバ)までの45キロ。舗装がしっかりしていない悪路。なのに登り3キロもある。それでも、からだが慣れてきたのか、それほど苦にはならない。途中、ダチョウに会った。しばらく観察。ブルーマウンテン公園内に泊まる。日本人のツーリスト団体に会った。

第11日 10月7日  KATOOMBA(カトムバ)からSDNEY(シドニー)までの50キロ。最終日、パレード気分で走る。ゴールは、シドニーのスポーツセンター。まだまだいける、という気分で、ゴール。道中、ご一緒だったオーストラリア側の責任者エリックと、最後の夕食。おみやげに、コアラのぬぐるみをいただいた。宿泊は、YWCA。

第12日 10月8日  シドニーは、曇り空、東京は晴れ 朝6時45分宿泊地発。予定通りのフライトで離陸。9時間で、成田空港帰着。






























  

2023年1月25日水曜日

今朝も4時 列島寒波 でも歩く

二日前から、寒波が来る、日本列島がすっぽり冷蔵庫に、なんて報道が繰り返されていたので、その気になって、懐中電灯、ほっかいろ、インスタント食品などを準備していたが、それほどでもなかった。それでも、朝4時のウオーキングに。さすがに寒い。近くの運河沿いの道を往く。真っ暗のはずだが、道路沿いのマンションの明かりで暗くはない。東に向かって歩く。日の出までは、まだまだの時間。そんなにも早く歩くこと、ないんじゃない、なんて言われているけれど、決めたんだから歩くんです。

携帯ラジオからは、日本列島、あっちこっちで、「雪」、とのニュース。雪といえば、いろんな思い出がある。

ウインタースポーツの冬山登山、XCクロスカントリースキー、どちらも、めいっぱいやった、楽しんだ。冬の立山、穂高、乗鞍など、怖い目にもあったが、いい山行だった。XCスキーでは、国内外のレースに毎冬、シーズン中は、ほとんど出場していた。冬のシーズン中は、日光の幸徳牧場、猪苗代湖の国民休暇村、乗鞍高原などで練習、週末はほとんど 雪の上にいた。国内では、北海道の湧別100キロレースに、9年続けて出場、海外でも、本場のノルウェイ、スウェーデン、オーストリア、スイス、フランスでのレースに、また、イタリアでは、ミラノに近いピンゾロで開催の24時間レースに出場した。あの時は、レースの途中で飲んだHot winnがおいしかった。泊まっていた民宿のおじさんが、差し入れてくれた赤ワイン、今でもあの味を覚えている。そうそう、EUで研修生ということで招待された際には、毎週末ブラッセルから列車で、ミュンヘンまで行き、駅近くのホテルにスキー一式を預けて、近くのスキー場でXCスキー三昧だったたこともあった。

国内での「雪」体験、四国でお遍路さん巡りをしていた時、たまたま四国に雪が降った。歩き遍路は、天候に関係なく、雨でも、雪でも、歩きます。その日は、かなりの雪で、雪体験のない四国の人たちは、かなり往生しておられた。雪で動けなくなっていた車を何台も、お助けしました、「お接待」です。熊野古道は、14,5年ほど冬の季節に通ったけれど、雪の体験は、ほとんどない。紀伊半島は、やはり南の地、なんですね。

冬の「雪」体験、青森でのこと。知人のUさんの車で、八甲田山へ。たまたま映画の『八甲田山』の撮影が行われていました。雪の撮影現場には、信じられないほどの大勢さんたちがおり、なのに、まだ足りない、ということで、通りかかった私たちが頼まれ、エキストラ出演。古い軍服を着て、行列に加わり、ただただ歩くだけ、という出演ですが、係のおじさんが、映画、見てよ、自分が写っていますよ、といわれた。もちろん、出演料なしでしたが、なんだか、うれしくて、東京に帰ってきてから、友人たちに、「八甲田山の映画、出演したんだ、見て、見て」、といいふらしてまわった、が結果、自分でも見に行ったけれど、どこにいたのか、わからなかった。人生初の映画出演、残念の巻。



2023年1月18日水曜日

語り継ぐ あの震災を 東京で

1月27日、朝の5時46分、関西大震災。今から28年前のことだった。当時、指圧の学校の57歳の生徒だった。あの時間、朝ごはんを食べながらテレビを見ていた。で、地震直後の神戸に、「えらいこっちゃ 」と叫びながら、見入っていた。それでも、いつもの通りの通学。北綾瀬駅までチャリで。早朝の乗客、いつもの通りで、だれひとり、地震を話題にせず、「神戸で、大地震あったんですよ」、を叫びたい気持ちをぐっと抑えて学校へ。ここでは、だれもが話題にしていた。友人や親戚もいたので、それから3~4日は、電話をかけまくったが、なかなか通じず、心配の日々だった。幸いみなさん、命だけは無事だった。

その後は、東北大震災。1973年だった。この時は、旅先だった。放射能汚染で、多くの住民が、いのちからがら、日本中、あちこちに避難。足立区でも被災者を受け入れた。綾瀬駅近くの銭湯が、被災者で混むという状態だった。今朝の新聞を見ていたら、東京電力の当時の幹部だった人たちの裁判が行われているとのこと。津波を予期できなかったのが、罪になるのかなあ。あれから12年、放射能汚染地域を莫大な費用をかけての除染がすんだものの、元の村や町に戻る人は少ない。あの事故で、日本中の原発が止まり、私たちは、もっと電力消費を減らそうとの風潮が高まった。なのに、なぜか、原発再稼働の声が政府から発せられている。ウクライナ戦争で、石油の供給不安が高まり、海外からの輸入に頼っているわが国の現状、この際、国内の原発の再稼働しかない、というわけ。

もひとつ、気掛かりなこと。日本が防衛大国になるかもしれない、という懸念だ。この正月休みに、日本のPMは、主要各国を回り、「わが国は、今後、防衛予算を増額し、こんな防衛計画を」、と説明しまくったようです。今後の日本、どうなるか、とても気になります。

そんなことを考えながら、西新井大師へ初参り。それほどの人出ではなかった。参道で、スマホの画面を見ながら歩いている若者たち、ひとりやふたりではない。お大師さんに、何しにきたのか。西新井から王子行きの都バスに乗ったら、客のほとんどが、スマホをいじっていた。

2023年1月11日水曜日

初乗りで 改装すんだ 渋谷駅

48時間、山手線を止めて、ホームの改装工事をしていた渋谷駅、やっぱし行ってみよう、ということで、お出かけ。西日暮里駅から山手線に乗車。1月10日、実は、もしかしたら式典帰りの着物姿成人に会えるかな、と期待していたけれど、この日、この時間帯に会ったのは、3人。みんな電車に乗らないのかな、といいながら、乗車の山手線は、渋谷駅に。下車、ざっと見渡す。ホームが広がったというけれど、ふだん、あまり乗り降りしたことがなく、実感は、ない。「これで、いいのだ」といいながら、すぐきた山手線に乗った。電車内は、そう混んでいない。

   彼女に会いに池袋  代々木になったら家を出て 原宿減ったら渋谷顔 彼女に会ったら恵比寿顔 というわけで、恵比寿に着く。3人組が乗ってきて、となりの席に。声が大きいので、会話がよく聞こえる。東京でひとり暮らしをしている息子とその両親。息子は、まだ大学生のようだ。息子が、いいみやげだよ、東京の恵比寿のガーデンプレイスで買ったといえば、みんなよろこぶよ、と。立派な紙袋に入ったおみやげ4個。「風邪ひくな、コロナも気をつけろ」とお父さん。なんども繰り返す。「わかった、わかったよ」、と息子。3人組は東京駅で降りた。新幹線で、どっちへ行くのかな。子どもたちが、田舎へ行くんじゃなくて、親が東京へ、子どもたちに会いにくるんだってケース、目撃。上野駅で常磐線に乗り換え、帰宅。こちらの車内は、そこそこに混んでいた。

4時すぎ、神明町帰着。乗り換えの上野駅で、構内レストランから、カレーの匂いがしたので、その瞬間、今夜は、カレーと決定。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、肉、ぜーんぶあります。ほとんど心配なしのレパートリーです。5時すぎには、整いました。今日は、夕刊はこないので、雑誌のひろい読みをしながらの夕食。だれもやってくれないので、自分でやるしかない、後片付け。でも、あとは、自由時間。

7時のニュース(NHK)を見て、あとは、民放の報道番組が、よく見るテレビ定番。TBSとふじテレビ。国内外の報道番組で、専門の先生方がコメント出演をする。この一年間は、ウクライナがほぼ出づっぱりテーマだった。コマーシャルになったり、内容にあきると、新聞や本を読む。気になることがあると、年表や、地図をとり出して、確かめる。「ひとり遊び」(ひとり学び)の時間です。なんとなく充実の時間帯。そういえば、最近、日本の総理大臣が出演していた。「新しい資本主義」、「異次元の子ども政策」、「国民の命と財産を守るための防衛力の強化」、などなど、うーん、わかりずらい。番組の途中で、眠くなってしまう。そういう時は、がまんせず、寝てしまう。寝つきよく、眠れない、という体験はほとんど、ない。というわけで、今年の年賀のご挨拶は、「目が覚めて 今日も生きてる 感謝 ブラボー」の毎日です。                 

2023年1月9日月曜日

あれこれと おもうこと多し 年はじめ

ラデツキー 思わず手拍子 ニューイヤー (1月7日)            

NHKの実況中継は、2日の夜だったけれど、再放送が7日午後、行われた、ウイーンのオペラハウスでの恒例のニューイヤースコンサート、なつかしい。ニューイヤーだけでなく、ワーグナー週間、一週間、毎日、ワーグナーの曲だけを演奏する、あれにも通った。現役時代、海外が多かったのを利用して、ウイーンへは何度も行った。ウイーンの住人だった友人フリッツイ・コトブスキーのアパートが定宿だった。祖先がチェコスロバキアだというフリッツイだが、来日して、わが家に泊まった時、ラジオから聞こえてきた「ドナウ川のさざ波」、シュトラウスの曲に、あゝウイーン、ウイーンとホームシックで涙していた。ウイーンを心から愛していた彼女、昨年、亡くなった。亡くなる前の一昨年、お見舞いのウイーンでの再会が最後となった。                       そんなことを思い出しながらのニューイヤース・コンサート。今年の指揮は、ウェルザー・メスト、オーストリア人。客席は、ソーシャルデイスタンスを、どうもとっていなかったようだが、着物姿の日本人も何人かいた。ほとんどシュトラウス一家の曲だったが、ときどき、ウイーンのお城の中でのバレーダンスもあり、とにかく、新年らしい素敵なコンサートだった。ウイーン少年・少女合唱団のコーラスがあり、少女合唱団の存在を知った。2時間あまりの最後、この最後の曲は、いつも通り、ラデツキー行進曲。指揮者が、会場の方を向いての指揮、この時を、待ってました、の観客。指揮者の指揮棒に従って、観客船員での手拍子。これがなんとも、楽しいのだ。遠く離れた日本の東京、足立区から、ウイーンに向けて「手拍子」を送りました。感激、感動、でした。

久能山 どうする家康 NHK (1月8日)                ほぼ毎日、NHKで大河ドラマの家康を宣伝していたので、普段は、あまり見ないのに、一回目を見てしまった。大騒ぎの前宣伝は、なんだったんだ、といいつつ、ほとんど感動せずの1時間45分だった。でも、久能山がでてきて、そうだった、あの久能山、3回、行ったことがある。旧東海道の旅の途中に立ち寄るということで、3回とも、歩いての旅だった。ケーブルがあるのを知らなかった。久能山そのものは、1065mだという。3回とも、海側からの1159段の石段を登り降りしたと記憶している。時代もの石畳も随分荒れていた。海側に降りて、しばらく歩いたところに、いちご農園があり、とりたてをいただいた。日光東照宮よりも、こちらがホンめの東照宮であることを、再確認した。

18歳 今日から大人 えっホント(1月9日)              どうもピントこないのだ。1月15日だったはずなのに、いつの間にか、国民祝日の日が、変更。それに、20歳が成人だったはずなのに、いつの間にか、18歳に。それも法律で決めたんだって。今年の成人式、従来通り20歳が対象だったり、18歳だったり、なんだそうです。新聞には、この日の対象者18歳~20歳成人は、341万人なんだそうだ。選挙になれば、みんな投票できるんです。いくらか、日本の政治が変わるのか、期待しています。         あの頃、自分が20歳になった頃、どうしていたのか。安保闘争真っ最中だったか。成人式に出席した記憶がない。後になって、高校の同級生に聞いてみたら、出席したよ、と言っていたので、他の人たちは、出ていたようだ。ただ、母親は期待をしていたようで、裁縫の先生だった彼女は、成人式用の和服を用意していた。その衣装を娘に強制することなく、6歳ちがいの妹が成人式に袖を通した。そのことを知ったのは、母親が亡くなった後、いろいろ整理していた中から出てきて、わかった。