2023年1月9日月曜日

あれこれと おもうこと多し 年はじめ

ラデツキー 思わず手拍子 ニューイヤー (1月7日)            

NHKの実況中継は、2日の夜だったけれど、再放送が7日午後、行われた、ウイーンのオペラハウスでの恒例のニューイヤースコンサート、なつかしい。ニューイヤーだけでなく、ワーグナー週間、一週間、毎日、ワーグナーの曲だけを演奏する、あれにも通った。現役時代、海外が多かったのを利用して、ウイーンへは何度も行った。ウイーンの住人だった友人フリッツイ・コトブスキーのアパートが定宿だった。祖先がチェコスロバキアだというフリッツイだが、来日して、わが家に泊まった時、ラジオから聞こえてきた「ドナウ川のさざ波」、シュトラウスの曲に、あゝウイーン、ウイーンとホームシックで涙していた。ウイーンを心から愛していた彼女、昨年、亡くなった。亡くなる前の一昨年、お見舞いのウイーンでの再会が最後となった。                       そんなことを思い出しながらのニューイヤース・コンサート。今年の指揮は、ウェルザー・メスト、オーストリア人。客席は、ソーシャルデイスタンスを、どうもとっていなかったようだが、着物姿の日本人も何人かいた。ほとんどシュトラウス一家の曲だったが、ときどき、ウイーンのお城の中でのバレーダンスもあり、とにかく、新年らしい素敵なコンサートだった。ウイーン少年・少女合唱団のコーラスがあり、少女合唱団の存在を知った。2時間あまりの最後、この最後の曲は、いつも通り、ラデツキー行進曲。指揮者が、会場の方を向いての指揮、この時を、待ってました、の観客。指揮者の指揮棒に従って、観客船員での手拍子。これがなんとも、楽しいのだ。遠く離れた日本の東京、足立区から、ウイーンに向けて「手拍子」を送りました。感激、感動、でした。

久能山 どうする家康 NHK (1月8日)                ほぼ毎日、NHKで大河ドラマの家康を宣伝していたので、普段は、あまり見ないのに、一回目を見てしまった。大騒ぎの前宣伝は、なんだったんだ、といいつつ、ほとんど感動せずの1時間45分だった。でも、久能山がでてきて、そうだった、あの久能山、3回、行ったことがある。旧東海道の旅の途中に立ち寄るということで、3回とも、歩いての旅だった。ケーブルがあるのを知らなかった。久能山そのものは、1065mだという。3回とも、海側からの1159段の石段を登り降りしたと記憶している。時代もの石畳も随分荒れていた。海側に降りて、しばらく歩いたところに、いちご農園があり、とりたてをいただいた。日光東照宮よりも、こちらがホンめの東照宮であることを、再確認した。

18歳 今日から大人 えっホント(1月9日)              どうもピントこないのだ。1月15日だったはずなのに、いつの間にか、国民祝日の日が、変更。それに、20歳が成人だったはずなのに、いつの間にか、18歳に。それも法律で決めたんだって。今年の成人式、従来通り20歳が対象だったり、18歳だったり、なんだそうです。新聞には、この日の対象者18歳~20歳成人は、341万人なんだそうだ。選挙になれば、みんな投票できるんです。いくらか、日本の政治が変わるのか、期待しています。         あの頃、自分が20歳になった頃、どうしていたのか。安保闘争真っ最中だったか。成人式に出席した記憶がない。後になって、高校の同級生に聞いてみたら、出席したよ、と言っていたので、他の人たちは、出ていたようだ。ただ、母親は期待をしていたようで、裁縫の先生だった彼女は、成人式用の和服を用意していた。その衣装を娘に強制することなく、6歳ちがいの妹が成人式に袖を通した。そのことを知ったのは、母親が亡くなった後、いろいろ整理していた中から出てきて、わかった。

                              


 

2023年1月6日金曜日

新年朝 寒さひとしお でも散歩

昨晩、2022年12月31日、大晦日の晩、「恒例の・・・」紅白を見ず、『混迷の世紀』(NHKシリーズ) を。世界の平和の秩序が、どうなっているか、日本はどうすべきか、がテーマ。たとえば、エネルギー問題、太陽に、風力に頼ればいい、と思っていたが、その太陽、風力を電気に変えるには、「銅」が必要なのだ。その銅の争奪戦が、すでに始まっている。電気自動車だって、限りある地球の資源なしでは、できないのだ。それよりも、輸入依存の日本の食料問題は、もっと深刻。

2023年1月1日、いつもと変わらない。4時起床、まだ真っ暗。3POに。初日の出にはまだ2時間早い。さすがは、元旦、車もめったに会わない。寒い、手袋をしていても、手先が冷たい。

初詣 並ぶ人みて すぐ退散

10時すぎに、西新井大師へ行ってみた。元旦だもんね、といいながら、参道へ。予想通りの長い行列、であきらめた。どうする? やっぱり初乗り、ですよ。西新井駅から東武線(スカイツリーライン)に乗車。浅草方面行きは、混んでいたが、下りは空いている。東武動物公園行きに乗車。ほぼがらがら。途中、乗り換えは、2駅。最初は、新越谷駅から埼京線に、もうひとつは、春日部駅から東武アーバンパークライン線。新年なのだ、元旦なのです、だから、少しでも長い距離に、と春日部駅へ。

初乗りの 電車新品 おめでとう

乗った東武動物公園行きが、なんと新品、おろしたての新品車輛のようで、「真新しい」匂いがぷんぷん。車内の隅々に、ごみ、ほこりがまったくない、まちがいなく新品車輛です。「すごーい、うれしい」です。まさに正月元旦の、初乗りにふさわしい電車です。    車窓からの風景も、おだやか、正月らしい。と国旗(日の丸)が見えた。そう、本日は、旗日、1月元旦です。日本人は、日の丸です、サッカーの試合の旗だけではありません。

電車は、野田駅を通過。野田醤油の煙突がいくつも見える。煙は出ていない、そう本日は、1月1日。醤油といえば、熊野古道の湯浅も醤油の街だ。熊野古道、隠居になってから10年ほど、毎年、年末年始は、熊野古道だった。

旅先の 熊野灘から 初日の出                                12月30日から1月3日まで、ほぼ毎年、でかけていた。和歌山田辺の農家のKさんの声かけでの古道歩きの旅。おかげで、熊野古道は、なんども歩くことができた。熊野灘の初日の出、夕日の風景、見るたびに感動。あの頃の熊野灘は、さんまがよく獲れた。宿泊先での正月料理には、さんまが必ずでていた。

終点ではないけれど、ここで降りる、取手駅。水戸から来る常磐線に乗る。こちらは、やや混んでいるけれど、座れないほどではない。綾瀬駅まで40分。今年も、ちょい旅でスタート。まあまあの初乗りだった。

2022年12月20日火曜日

長かった 寝不足続いた W杯

ワールドサッカーが終わった。アルゼンチンとフランスが決勝戦に。前半の様子では、アルゼンチンが優位に、しかし、後半戦ではフランスが得点で挽回、延長戦でも決まらず、PK戦でアルゼンチンの勝ち、という結果になった。昨日の早朝、いつもの起床時間4時、「あゝ やっぱり見てしまった」、とひとりごと。

実は、日本が勝ったドイツ戦、スペイン戦、勝ち進んでいたので、そのつもりではなかったのに、テレビ観戦をしてしまった。もちろん、3戦めのクロアチア戦、やっぱり見てしまった。これまでの人生で、サッカーは、それほどのスポーツではなかった。関心度は低かった。なのに、なんで、84歳の今になって、と思った。PK戦というのもはじめてで、なんのことなのかを知った。penalty kickの略語。それに、サッカーでは、ボールに「手」を触れてはいけないことも、知った。

出場の選手たちの国、いろんなことを思い出すきっかけでもあった。

モロッコ、そうそう、あのモロッコのサハラ砂漠を走ったっけ。セネガルのダカールでは、国際会議で、まだ有名になる前の、獄中から出所したばかりの南アフリカのマンデラさんに会った。スーパーの袋からとり出したテープ(旧式)を「あとで、聴いて下さい、私のアパルトヘイトへの闘いの人生が、入っています」と。会議出席の各国代表たちが、まだ彼に注目していなかった・・・・

アルゼンチンのブエノスアイレスでは、市長選挙に立候補の男性の選挙応援をしたことがあった。市内の貧困層地域で、子どもたちが、サッカーをやっていた。

サッカーの試合を見ながら、自分の人生の思い出シーンを、思い出す日々だった・・・

それも、昨日で終了。なんだかほっとしたけれど、さて、どうするか。こういうのって、もしかしたら「W杯ロス」状態。

せかせかと 音がするような 今 師走

巷は、いつの間にか師走。あと2週間で「お正月」なのである。今朝、都内足立区神明町で、初氷。新潟では、想定外の大雪で、大変らしい。そういえば、今年は、想定外がいくつもあった。首相が撃たれて死亡、ウクライナにロシアが軍事侵攻、統一教会問題、北朝鮮のミサイル発射などなど。コロナも継続案件。

生きていることが、めっけもん、って感じです。

といいながら、ほぼ毎日、乗り鉄、路線バス乗りを実行しています。都心、観光地を避けて、相も変わらず、埼玉、群馬、千葉、茨城、首都圏東部地域です。同じ電車に乗っても、乗客はいつも違う、車窓からの景色からも、季節の移り変わりがわかる、線路の上を走る車の音も、毎回、違う(ように聞こえる)。電車もバスも、いつも、どこでも、ゆっくり、ゆったりで、「ちょい旅」最高、です。という、贅沢三昧の日々であります。

2022年12月5日月曜日

朝の4時 走る車も ワールド戦

12月5日(月) 朝から曇り空。ここのところ、寒い日が続いている。12月だもんね。寒いよ、やっぱり。師走っていうんだから、寒くなくっちゃ。

テレビも、新聞も、ほとんど連日、サッカーが話題の中心で、普段は、関心薄い人間でも、なんとなく気になります。深夜、早朝のドーハ―からの試合が気になってしまう。恒例毎朝4時の3PO中も、携帯ラジオで実況を聞いてしまう。たまに会う早朝から働いている人たちの車の中からも聞こえてきます、ワールド戦の放送。サッカーって、昔は蹴球(しゅうきゅう)っていってたのを、思い出す。高校時代、ずいぶん昔のこと、バスケットボール部員で、体育館近くのバスケット部の隣りが蹴球部だった。ちなみに、バスケットボールは、篭球(ろうきゅう)といっていました。蹴球のルールは、あまり理解していなかったけれど、部室お隣り同士で、仲良くしていた。オトコばかりの蹴球部のコーチが、いい男で、みんなの憧れだったっけ。ドーハ―、本日は、試合は夜中だけれども、どうするか、起きていようか、迷っています。

ところで、アフガ二スタンで中村哲さんが殺されてから3年めということで、いろいろ報道されています。実は、あの中村先生に、お会いしたことがある。日本の総理府(当時)企画のアジア諸国を訪問する青年指導者団というのに参加した時のことでした。訪問先のバングラデシュで、たまたまお会いしたのが中村哲先生だった。現地で活動しておられる先生が、いろいろ話をされた際、「日本の私たちは、アジアの貧困のために何ができるんですか」と団員のひとりが、また「古着など送る、というのは」、などという団員もいました。

中村哲先生は、「日本から、なにかを送る前に、ぜひ実行していただきたいことがあります。それは、みなさん、古着を出さない生活をして下さい」、と一言。

今、私たちは、古着を出す生活に、どっぷりつかっている。大量生産、大量消費、そして、大量廃棄が日常的に行われている。それなのに、もっと、もっとを追求する、もっと、もっとの快適を望んでいる。せっかくやめる気になったのに、とめる気になったのに、原発再稼働が取りざたされています。原子力発電所の廃棄物、今ある廃棄物の処理方法がみつからないのに、どうするのか。

貧しいのは、よくない、我慢はしたくない、一生懸命働いて、お金を稼ごう、そして、「豊かさ」を手にしよう、という風潮が蔓延しているみたい。

もっと早く、もっと遠くへ、飛行機や、新幹線に乗って「旅」に出よう、ではなくて、もっと時間をかけて、各駅列車で、路線バスで、ゆっくり、ゆったり、「旅」に出よう。こんな発想、どうですかね。


2022年11月29日火曜日

雨ごとに 落ちる葉っぱ 冬はじき

11月27日(日)晴れ  いい天気。これなら富士山、しっかり見えるはず、と出かけた。綾瀬駅から千代田線乗車。荒川の鉄橋を渡る際、はっきり富士山を確認した。東京駅から東海道線。9時20分だった。品川駅まで、立ちんぼ。ここで、お気に入りボックスシート、ゲット。進行方向右手、時々富士山が見える。よろしい。これがいいのだ。平塚駅行きだったので、いいんじゃない、いいんです、と平塚駅下車し、バス停へ。すでに10名ほどの乗客が 座っている「伊勢原行き」が、停まっており、乗車。いちばん前の運転手さん左横の一人席が空いており、もちろんゲット。

すぐに出発。駅前の七夕祭りの飾りで賑やかな東海道通り、歩道部分が広くなり、すっかり整備されていた。コロナで七夕祭り、実施したのかな。ここから北へまっすぐ、大通りを往く。真ん前に丹沢の山々。バスは、旧道へ入る。両側は田んぼ。畑も多い。まだ平塚市内だ。左方向を見るも、いつもなら見えるはずの富士山がない。電車の中からは見えたのに、あんなにはっきり見えたのに、見えないのだ。箱根の山々一帯に、いつの間にか雲がしっかりかかっている。というわけで、Mt・Fuji View Tourは、残念でした、終点の伊勢原駅までの間、まったく姿を見せなかった。

ここら辺は、昔、歩いたことがある。中原街道、東京は、港区から品川を通り、洗足池、ここら辺の地名は、たしか千束だったのを思い出した。丸子橋を渡り、神奈川へ入り、川崎を通り、中原までの歩き旅、日帰りを3~4回、繰り返してのちょい旅だった。バス停に、平塚中原3丁目、なんていうのがあり、思い出した。11時20分、伊勢原駅着。バス停は、結構、混んでいる。バスの利用者が多いようだ。ここら辺は、神奈川中央交通、「かなちゅう」が主流。駅構内の立ち蕎麦屋で、かけそば(340円)を食べ、11時50分の快速急行新宿行に乗り、代々木八幡で千代田線に乗り換え、綾瀬駅帰着。富士山に会えず、残念の路線バス乗りでした。

マレイシア 新首相は わが旧知

新聞に、「マレイシア首相 アンワル氏就任」、という大見出し。そっか、首相になったか、と独り言。97歳のマハティール前首相の立候補が気になっていたが、アンワルがついに首相になった。1980年代、当時、首相は、マハティール氏で、アンワルは副首相、次期首相などといわれていたが、政敵だったアンワルは、投獄されるという不運が繰り替えされ、それでも政治の舞台から離れることはなかった。遂に念願の首相に、なったというわけ。実は、そのアンワルと、ずーと昔、イギリスのマンチェスターで、政治活動をした、ということがありました。なにがテーマだったか、よく覚えていないけれど、段ボールに、フエルトペンで主張を描き、タイプ打ちでビラを作成、港湾労働者たちの集会で、スピーチをした。アンワルのスピーチは、なかなかだった。その帰りがけに、彼からの依頼で、マレーシアの、彼の出身地のカンポン(村)を訪れ、2~3日滞在、地元の若者たちとの交流会に参加したことがあった。当時、ヨーロッパが最大の関心事であったが、イギリスの植民地政策、中国系マレー人との諸問題、対シンガポール政策などを知る機会でもあった。その彼、アンワルは、75歳。新聞のプロフィ―ル写真、少し、昔の面影が感じられた。

この道は いつか来た道 バス路線

11月22日(火)曇り 朝4時、ほぼ頭上の空には、下弦の月。思っていたよりも寒くはない。明日は、祝日なので、人出日、だから本日は、出かけよう、なんて考えながら朝食。といっても、どこへ行くか決めておらず、こういう時は、まず神明町からバスに乗る。終点の西新井駅まで、25分かかる。この間に考えればいい。

西新井駅から、池袋駅行きに乗車。まだ10時なので、学生らしき乗客が多い。女性の場合、働いている女性よりも、学生女性の方が、お洒落で、着ているモノ、身に着けているモノ、持っているモノなど、よっぽど金をかけている、っていう印象だ。いつもは、途中の王子駅前で下車するのだが、あまりにも混んでいたので、下車するチャンスを逸した。終点池袋駅に行ってみよう、と決めた。

明治通りを走るこの路線バス 、これまでにも何度か乗車したことがあるが、この2年間くらい、乗ったことがなかった。大正大学あたりは、すぐに思い出せるが、池袋駅が近づくにしたがって、道路両側は、新しいビルになっていた。駅すぐのあたり、「ハレザ・ビル」前という停留所。バスの車窓から見上げても、てっぺんは、見えないほどの高層ビル。この後ろの方に、たしか豊島公会堂があったなあ。終点停留所は、駅前だった。駅構内は、人、人、人、だった。数年前には、駅反対側(北)から、歩いて通った大学、3年間だった。ちょっとどうなっているかの見学、結構、長い構内を歩く。駅を出て、一回りしてみたが、それほどの変化、ないみたい。特に目的もないし、山手線に乗ろうか、歩いて都電の駅まで行こうか。フクロウ像のある出口に出たら、目の前に都バスが止まっていた。これだ、と乗車。池袋から「浅草寿町」行きのバス。

乗客といえば、ほぼ満席。女性、それも高齢者が多い。みなさん、買い物袋を持っておられる。この路線、たぶん乗ったことがあるはずだが、記憶なし。しばらくして右折。白山通りに出る。ここをまっすぐ行くと、飯田橋から神保町方向だ。間もなく巣鴨駅、右は巣鴨地蔵。ここから左折、細い道に入る。東洋大学の正門、高い、でっかい学び舎ビル。坂を上がると、白山。ここら辺は、よく歩いた。樋口一葉ゆかりの地。銭湯もある。本郷通りを抜け、明治通りを西日暮里へ。いつの間にか、客は、3人。荒川区役所、大関横丁、ここら辺は、今でもよく通っている。常連の銭湯大勝湯、三ノ輪商店街は、すぐだ。三ノ輪の交差点、都心方向は、「昭和通り」、荒川方向は、「日光街道」、だ。バスは、国際通りに出て、龍泉、千束を経て、終点の浅草寿町に。道路は、空いていて、10分ほどで、終点に到着。

この後、久しぶりに行ってみるか、と浅草寺へ。しかし、すぐにやめた。とにかく、人が多い。外国人観光客(インバウンド)だけではなく、日本人割安制度利用客で、混んでいた。こんなに大勢の人間が、集まっている場所、みなさん、のろのろ歩いている、久しぶりでした。つい最近、銀座、六本木へは、ちょいと、行ったけれど、これほどではなかった。デパートの駅地下で、肉まんを買って帰宅。路線バスは、楽しかったけれど、浅草は、だめだった。