2022年7月15日金曜日

おめでとう やっぱりケーキで 誕生日

 今日も、また雨か、と空をながめていたら、玄関で「こんにちは」の声。出てみると、M先生が立っていた。えっ、今日は、なんで、と言ってしまった。

「今日は、これで、きましたよ」、とバッグの中から取り出したのは、ケーキ。それでは、と「Happy Birthday to You」を歌いはじめた。

誕生日は、5月22日。とっくに過ぎている。本日は、7月13日。でも、まあ、いいや。

ケーキをたべながら、その後は、いろいろ話題が行ったり、来たりの、いつもの会話。

ウクライナ情勢:トルコ留学体験ありで、一見識。エルドワン大統領が、いろいろあったけれどスウエーデンとフィンランドのNATO加盟を認めるに至ったことがわかった。背景には、トルコの歴史的、地政学的があげられる。国際会議で、なんどか訪問、滞在したことのあるイスタンブール、ボスボラスの大きな橋を渡った時、ここがアジアとヨーロッパの「境」か、と実感したのだった。街中には、世界遺産のイスラム教の寺院がいくつもあった。そういえば、モンゴルの友人に初めて会ったのもイスタンブールだった。      ウクライナ戦争で、活躍しているドローンは、トルコ製が多い、とのこと。兵器には、あまり関心がなく、知識もなかったが、ドローンが兵器として活躍してるなんて、気づかなった。エルドワンさんは、ロシアのプーチン大統領とも仲がいいみたいだし、ウクライナに肩入れしていていいのかな、とつぶやいてみた。「それが、エルドワンなのだ」、と。

元総理大臣の死:びっくりした、は同じ反応だった。捕まった犯人が、「宗教団体が憎かった。その団体に関係していた首相を殺さねば」というのが、理由とのこと。その宗教団体について思い出すことがある。昔、昔、UNDP(国連開発機構)のスタッフとして、アフリカのスーダンで働いていた頃、首都カルツームの日本大使館で、日本の情報という欄に、その団体のパンフレットがいろいろ置いてあったのを思い出した。日曜日には、現地邦人とその団体の若者たちとの野球の試合がある、見にいかないか、と誘われたことがあった。また、これは、日本国内でのことだが、衆議院選挙の時、その団体の信者たちが、応援に動員されているのを見たことがある。集団お見合いなどは、テレビを通して知った。まだ、宗教団体として生き残っていたことを、確認したのだった。

城崎の植村直己冒険館:今年の受賞者の式典に行ってきたとのこと。冒険館が、これまでと様変わりして、賑やかだったという。町長が変わって、運営方針が変わったらしい。植村さんが亡くなってから、どれくらい経ったのだろう、そろそろ風化か、と思っていた。これも昔の話だが、冒険館には二度ほど伺った。あそこが選挙区だった方の記念館を、とのことで訪れたのだ。温泉に入ったり、地元の方たちと鮎を食べたのが思い出だ。そうそう、町長が変わって、冒険館には、スターバックスが入ったりして、地元の人たちの憩いの場になっているそうだ。

こんな具合に、時間が過ぎていった。

       友 遠方より来る  

       ケーキを持って来る  

       いろいろだべって 過ごす

       また 楽しからずや                  

  

2022年7月10日日曜日

夏到来 出番まだまだ 蝉の声

突然、「本日、梅雨があけました」と気象庁が宣言。翌日から、夏本番の猛暑。まったく雨が降らず夏日が何日も続きました。早朝の散歩時でも、蝉の声がまったく聞こえない。地下の蝉たちにとっては、夏はまだなのだろうか。7月10日、本日も、まだ聞こえてこない。

7月8日は、たいへんな日だった。総理大臣を長ーく務めていた方が、亡くなった。参議院選挙の応援演説の最中だった。手製のGUNに打たれての死。犯人は、すぐに捕まったが、日本中がびっくりさせらてた。昨日も、一日中新聞も、テレビもそればっかり。同じ内容の記事、映像が繰り返された。It's enough,という感じで、なんとかこのニュースから逃げられないか、と出かけました。久々のお出かけでした。

東武線に乗った。快速南栗橋行きに乗る。朝10時頃。浅草から出ている電車は、各駅停車と、快速、東武動物公園行か、南栗橋行きどまり。日光行きは、座席指定の特急のみ。南栗橋で、35分待ち。日光行きで栃木駅へ。ここで、前橋からの両毛線に乗り換える。栃木駅は、蔵で有名な宿場町。なんどか来たことがある。駅は、立派な近代づくり。JRよりも、東武線がはばを利かしている。JRのホームは、いちばん端っこにあり、両毛線は、前橋方面、水戸の友部方面ともに、1時間に1本しか走っていないのだ。待ち時間45分。駅構内のコンビニで買ったサンドイッチを食べる。

12時14分発に乗る。栃木市の高校の下校時間とぶつかり、ホームは、いっぱいの学生たち。そっか、今日は、土曜日。4両がほぼいっぱい。すぐに小山駅に着く。両毛線は、ここまで、でこの先は水戸線。13時6分なので、40分ほどの待ち時間。でも、乗車する電車がホームに入線していて、ありがたいことに、冷房も効いている。もひとつ、全5両編成のうち、真ん中の2両がわたし好みの「ボックスシート」なんです。「やったあ」、と思わず叫んでしまった。

小山駅の駅前は、洒落たビル・白鷗大学だ。まるで駅ビルって感じの接近ビル。小山市内を走っているバス、大きな文字で『おーバス』と書かれており、次々に駅にやってくる。ボックスシートからのいい眺め。そういえば、小山駅は、東北新幹線の停車駅でもある。

乗客は、結構多い。水戸方面から乗車したことはあるけれど、こっち、小山方面からの乗車は、初めてだ。しばらくして、鬼怒川を渡る。沿線は、工場が多く、あとは田園風景だ。田植えから1~2か月がすぎ、稲も立派に成長している。前方左方向に筑波山。いい眺めだ。

13時30分、下館駅着。水戸線は、ここまで。下館からは、真岡鉄道が出ており、終点の茂木駅まで乗車済み。ここでも、ホームに入線の列車が、待合室代わり。1両編成で、13時49分発車。車内に、「関東鉄道は2022年、100年を迎える」との記述があった。発車時刻には、20名ほどの乗客。まあまあ、だ。関東鉄道は、下館から取手間を走るが、途中の水海道駅で、乗り換えることになっている。13時49分発車。

ほとんどが無人駅、乗客の乗り降りは、ワンマンの運転手さんが、切符や定期券、スイカなどを拝見している。相変わらず筑波山は、車窓左側だ。途中の大宝駅では、下車して、神社参拝をしたことがある。下妻駅では、わが家の前を通っている下妻街道を調べた時、ここの図書館、市役所などへ資料を貰いに行ったのを思い出した。

水海道駅で乗り換える。停車中の取手行きは、ほぼ満席。途中の守谷駅で、つくばエキスプレスに乗る人たちだ。守谷駅でほぼ全員が下車。でも、関東鉄道の終点は、取手駅なので、ともかく最後まで乗る。15時30分、取手駅着。関東鉄道51.1キロ、約80分の乗車時間だった。ここからは、乗り慣れた常磐線。快速で、北千住駅まで乗り、千代田線で綾瀬駅着。それほどの猛暑ではなかったが、待ち時間が多く、なんとなく、くたびれた。久々の乗り鉄だった。

テレビをつけたら、まだまだ画像は、暗殺の続きだった。

2022年6月22日水曜日

京成線 こんなところを 走ってた

 新聞を広げたら、まる一面刷りで、寅さんのビデオ広告があった。そっか、50本もあったんだ、ということは、50本全部を見た、ことになる。東銀座の東劇で、「寅さんシリーズ一挙上映」、というのを見るために、4か月通った。広ーい劇場、同じ席に、同じ人(寅さんフアン)が、今日も、座っていたっけ。ということで、柴又あたり、行ってみるか。

特段、これという目的もなく、ただなんとなく、柴又へ。

柴又は、金町駅から2つめ。金町は、綾瀬駅から2つめで、路線は、常磐線なのだが、乗り入れで、地下鉄千代田線駅。金町駅改札をいったん出て、100mほど歩くと、京成金町駅だ。スイカOK。高砂行きの電車が、1時間に3本出ている。11時頃だったが、柴又へ行くという高齢者グループと、母娘連れひと組、それに単独行10名くらいか。乗客が少なくても、4両編成だ。

実は、この路線、京成金町線に乗るのは、はじめて。でも、柴又は、なんども行ったことがある。金町から柴又までの線路わきの道路、いつも歩いての柴又。距離にして、1.5キロ、電車なんかに乗る距離ではなく、帝釈天まで歩くのがいつものコースだった。道路の向こう側は、金町浄水場で、金町から柴又まで、ほぼ浄水場の壁だった。

乗客のほぼ全員が、柴又で下車。乗ってくる人はその半分くらい。次の駅が終点高砂駅。金町駅からなんと2.5キロで、乗っていた時間は、5~6分だった。京成金町線は、金町駅から高砂駅までで、たった2.5キロを数分で走るだけの路線。ところが、この金町線は、京成電鉄で最初に走った路線だそうで、1912年(大正元年)11月に開業。その前は、帝釈天人車軌道といわれ、人が客車を押して走った鉄道だったとの歴史がある。歴史あり、由緒ありの金町線です。

金町線も終わってしまい、どうするか、改札口で一瞬、考えていたら、成田空港行きの快速電車がやってきた。ま、いいか、とこれに乗車。上野駅からの快速、客は、まばら。現役時代は、愛用(?)していました。スカイライナーという特急がその後走りはじめ、空港への行き来に利用していた。東中山駅、京成船橋駅、そして、京成津田沼駅に着いた。と乗っていた客たちが、下車。で、なんとなく降りた。なるほど、ここから千葉方面へ行けるんだ、と。ホーム反対側、えっなんで。停車していた電車が、なんと、「松戸」行き、とある。ここから松戸まで、行く電車があるはずがない。停車中の松戸行きの運転手のところまで行き「これ、本当に松戸駅まで行きますか」、と聞いてしまった。運転手さん、几帳面に「松戸まで行きます」、との御返事。5両編成、これに乗った。

間もなく発車。京成津田沼ー松戸間、24駅、26.5キロを43分で走る新京成電鉄ということが判明。しかし、昼の電車の乗客は、それほどおらず、もったいないな、と。駅と駅の間隔が、2~3分というところも多い。しかし、駅周辺の駐輪所や駐車場は、いっぱいだったので、通勤客が多いに違いない。以前は、田畑だったところに、家が建ち、アパート、マンソンが出来、首都圏って、こうやって人口が増えているんだ、と思った。

乗り慣れた松戸駅に到着。改札を出て、駅周辺を眺めていたら、「八潮駅」行きのバスが入ってきた。あっ、これに乗ろう、シルバーパスは使えないけれど、と乗る。客3人。他の2人は、途中下車。あとは、運転手さんと2人、35分後に、つくばエクスプレス八潮駅着。隣りに待っていたように「綾瀬」行きのバス。ラッキー。これに乗る。客ひとり、15分後に神明町着。よかった、新京成電鉄、はじめてだった。


2022年6月9日木曜日

あの頃の 友 想う本 今朝届く

 今朝、小包が届いた。シンガポールからだ。開けてみると、本が2冊。

”BELIVER”Conversations with Mike Moore、もう一冊は、”Beyond Storms &Stars "という題名で、Noeleen Heyzerー著者名。

送り主は、シンガポールの病院院長Dr.LOO CHOON Yong.

マイクは、ニュージーランド人で、国会議員から、労働党政権の首相、WTO(世界貿易機関本部ジュネーブ)事務局長、駐アメリカニュージーランド大使を務めた。

もうひとり、ノーエリンは、シンガポール人で、シンガポール大学、英ケンブリッジ大学で学び、国連本部(ニューヨーク)勤務で、いくつかの任務を経て事務局次長に、その後、バンコクのESCAP(国連アジア・太平洋経済社会委員会)事務局長を務めた。女性。

マイクは、彼が初めて立候補した時、オークランドまで選挙応援に行ったことがあった。私の日本語でのスピーチを、候補者マイクが、見事なニュージーランド英語に翻訳しての演説会だった。ちなみに、マイクはまったく日本語は、だめ。本の中には、そんな内容はなかったが、この本は、彼の友人Peter Parussiniさんという人が著者。マイクは、3年前に亡くなった。

ノーエリンは、本人による自伝。彼女のシンガポール大学時代、いっしょに学生運動をしていたアジア、シンガポールの活動家たちとなんども会っていた。Choon Yongもそのひとり。彼女が、マレイシアの、やはり政治活動かだった男性と恋におち、後に結婚するというプロセスなんかも、思い出す。Choon Yongは、訪米のたびにニューヨークで彼女に会い、その報告を帰国時の東京で話してくれていたので、かなり詳しい。ノーエリンと再会したのは、Choon Yongの結婚式だった。あれ以来、会っていないが、この本の表紙カバーの彼女は、素敵な女性、知的な大人の女性だ。

これから、時間をかけて、久しぶりの「本」を読もう。ヨコ時本は、最近、あまり目にしていないが、楽しみだ。海外の友人たちも、自伝を書く、そういう年頃になったんだ。




2022年6月6日月曜日

この本を 買う 買わないと 迷うまた

 本屋といえば、今は、丸の内の「丸善」、月1~2回、通っている。その間は、綾瀬と北千住駅ビルの本屋。買わない、買わない、といいながら、それでも、手にとって、ページを繰っているうちに、やっぱり買おうか、買おう、という具合で、買ってしまう。それらの本が、結局、いつの間にかたまりつつある。先がないのに、まだ集める気かよ。

こうして集めた本が、部屋を丸ごとひとつ占拠してしまい、にっちもさっちもいかない状態となり、思い切って処分したのが、10年ほど前のこと。一冊づつ手にとり、本を束ねながら、これが終わったら、もう思い残すことはない、なんて考えながら。

どんな「本」があったのか。

山の本:全国各地の登山関連本、串田孫一、尾崎喜八の著作も、ほぼ全巻持っていた。地図もかなりあった。ヒマラヤ、南米の山々など海外の山の本もあった。          街道本:日本国内のほぼ全ての街道本、100冊以上はあった。歩き旅で行った先々で手に入れた本、パンフレット類、各地の郷土歴史学会本もあった。旅先で手に入れた本を、郵送するために、封筒、切手をいつも持っていた。本は、持ち歩くと重いんです。     

ユダヤ関連本:早い時期、高校生だった頃、神田神保町へよく通った。それも、足立区から自転車での神保町通い。その頃から、ユダヤ問題に関心を持っていて、古本屋で安価で手に入った。同じ本を2冊、3冊買った。50円、60円で買った本が、その後のユダヤブームで、2000円、3000円で売れたのには、びっくり。売るつもりで、買い占めたわけではなかったのだが。でも、結果的に、後にイスラエル留学、卒業論文のテーマにするなど、おおいに役立った。                                    イスラエル関連本:留学時、イスラエルでは、ユダヤ問題、新しい国イスラエル事情、労働運動、政治など、帰国時に段ボール3個分を船便で持ち帰った。ヘブライ語は出来なかったが、ほとんど英語版になっており、さすがは、ユダヤ人の国、イスラエル。       各国事情資料:訪問先の国事情、特に政治、政党事情関連の本、資料は、よく集めた。なんども訪問した北欧各国の本、資料は、充実していて、研究する大学の先生方に重宝された。スウエーデン語、トライするつもりで、リンガフォンを買って試みたが、挫折。なぜかよくわからないけれど、留学したアメリカの本は、少ない。ユダヤ系アメリカ人関連本は、何冊かあったが、アメリカそのものを知る本はない。イギリス労働党、西ドイツ社民党、オーストリア社会民主党の歴史など、ヨーロッパの政党については、かなり多くの本、資料を集めており、国会図書館などへも、提供していた。                     雑誌類:バックナンバーを集めていたのは、朝日ジャーナル、月間国際問題、の2誌で、朝日ジャーナルは、赴任先のスーダンの首都カルツームまで航空便での定期購入をしていた。帰国時は、船便で、東京の自宅まで送り返すという「凝り」ようであった。

読書歴は、たどってみれば、小学校入学以前からで、京橋木挽町の洗濯屋で生まれた当時からで、意味もわからず、毎日、読んでいた新聞。病弱で、外に出かけられず、自宅二階でのひとり遊びが、意味もわからず、新聞の文字を読むということだった、だけのこと。        

     

2022年6月5日日曜日

どくだみの 白い花咲き 夏はすぐ

うちのベランダ と前のマンションとの間に20mほどの空間があり、どくだみがギシッと生えている。そのどくだみが、いっせいに白い花を咲かし始めた。あゝ今年もまた夏が来るんだ、その前に梅雨もくる、なんて84歳は独り言。

昨日は、久しぶりに北千住駅へ。駅ビルの本屋、知る限りでは、北千住界隈には、ここしかない。駅ビルは、2つあるけれど、もう一方の本屋・紀伊国屋は、もう5、6年前に閉店したままだ。佐伯啓思氏の最近の著書を目的に行ったのだが、みつからず、他に用事もないので、改札口へ。と、水戸行き列車が、あと5分で来るとの掲示。考えることなく、乗ることにした。14時2分。10両編成の常磐線だ。

なんども乗っている路線だが、なんど乗ってもいい。車窓からの景色が、毎回違うのがいい。この時間帯は、乗客も少なく、お気に入りボックスシート、ひとり占めというのもいい。空は、晴れており、取手駅あたりから、田んぼも見える。田植えは、ほぼ終わっており、田んぼには、白鷺がちらほらおり、あゝいい景色、と。左前方に筑波山が見えはじめる頃、両サイドは蓮の畑、土浦。畑というより、池っていう感じの泥沼の中で、腰ほどつかりながらの作業をしている人たち。水戸までは、まだ1時間もかかる。

終点の水戸駅に着き、ホームの売店で、納豆を買う。特にやることもなく、ホームに戻ると、さっき乗ってきた列車が、あと5分で出るとのアナウンス。学生が多い、制服の違いから見ると、3校か、4高校あるらしい。水戸といえば、茨木の県庁所在地、それくらいは、あるんだろう。上野行きの列車は、いつの間にか2両たして12両編成に、車内アナウンスも女性車掌になっていた。学生さんで、ほぼ満席だが、車内は、とても静か。みなさん、スマホに集中しておられる。途中から、通勤客の乗降があったが、北千住駅までの2時間は、それほどの混み具合ではなかった。

この日の夕食は、あたたかいご飯を炊いて、水戸納豆をいただきました。

夕刊に、鉄道運賃値上げの記事。JRでも、地方路線がたいへんらしい。深刻のようだ。利用者数が、極端に減っている路線は、廃線するしかない、という選択。コロナ影響、もちろんあったが、鉄道の赤字は、ずいぶん前から続いている。かつては、地域の足として、利用されていた鉄道だったが、人口減少、自宅勤務(テレワーク)、マイカー利用者の増加、高速道路の整備などで、乗客が減った。採算がとれない地方の路線は、廃線もやむなし、という実態。あの新幹線さえ赤字といい、地方の野菜、果物、魚などの運搬に利用しているという。

飛行機も、環境要因にマイナスといわれており、ヨーロッパとか、オーストラリアなどでは、もっと鉄道を、との動きが始まっている。早いことは、いいことだ、みたいな考え方を、この際、見直しすべき。「乗り鉄」は、困るんです。

もひとつ、インバウンド(外国旅行者)がOKに、という政府方針に、みなさん、大歓迎との声が多いようだが、オーバーツーリズムによる弊害、考えた方がいい。ネパールのカトマンドゥや、ブータンなどでは、オーバーツーリズムにならないよう、インバウンドの規制を実施している。コロナ前の海外からの観光客、異常な状態だった。受け入れ側も、儲かって、儲かって、という状況で、インバウンド向けの投資が増えていた。ということは、だからインバウンドなしで、多くの人たちが、破産という現状に直面したのだ。

鉄道も、インバウンドも、急がず、人を大切にする、が大切と思います。


2022年5月30日月曜日

誕生日 84歳 めでたくもあり めでたくもなし

 2022年5月22日、84歳になりました。

海外の友人たちからの「おめでとう」電話、メールがあった。いつも長ーい、長ーい電話のお祝いお喋り、オーストリアのフリッツイ、今年は来ない。彼女は、長年の闘病生活だったけれど、一昨年、ウィーンに会いに行った。元気だった時のように、本当に明るかった。滞在中、4日間、毎日、彼女のお見舞いに行き、いろいろ、なんとなく、他愛ないお喋りを楽しんだ。そうそう、毎年の誕生日の電話で、彼女が「娘さん、よく聞けよ、山男に惚れるなよ」の歌を冒頭に歌ってくれたっけ。ちょうどHappy Birthday to youのように。日本でいちばんポピュラーな歌と称して、日本語で彼女に教えこんだ歌。なぜか、憶えていてくれた唯一の日本語の歌だった。今年の誕生日には、フリッツイの歌を聴くことが出来なかった。さびしい限り。

イスラエルのヌザット、なぜか、今年は、電話の代わりにCARDが届いた。最愛に連れ合いだったルーベンさんが亡くなったとのこと。二人とも、イスラエルのヒスタドルート(労働総同盟)の役員だった。彼女ヌザットは、イスラエル国内に住むアラブ系女性の部門の責任者で、イスラエル労働党のクネセット(国会)議員でもあった。ルーベンさんは、10年ほど前から難病で、自宅療養だった。ヨーロッパへ行った時、イスラエルに立ち寄って、お見舞いをしたが、フィリピン人の在宅看護人を雇って、世話をしていた。ヒスタドルート,クネセットは辞任していたが、ガザに住むアラブ女性たちのためのNGOを立ちあげ、自宅を事務所にして、活動を続けていた。

シンガポールの病院院長ローチョン・ヨン、いつも誕生日には、チーズとワインを送ってくれる。今年は、奥さんのジャッキーとイタリアのミラノからの電話だった。彼は、院長だが多くの公職についており、そのひとつが、シンガポールのイタリア大使。年2~3回、イタリアのシンガポール大使館に出かける。ミラノに別荘があり、そこに滞在する。というわけで、今年の誕生日には、ミラノにいた、というわけ。こどもが二人いて、ふたり共、医師。長女のサラは、マレー人の医師と結婚、この2月、男の子が誕生、メールで写真を送ってきた。長男のデヴィット、彼の結婚は、どうなっているのか。

トン・ウオンは、ビルマ人(ミャンマー人)。インドネシア人女性と結婚、ウイーンとジャカルタ、双方に家があり、行ったり、来たりの生活。フリッツイのお見舞いウイーン滞在では、彼の家に泊めてもらった。ドイツ銀行に長く勤務していて、アジア局長でもあったが、今は、ご隠居さん。奥さんのソフィーは、父親は、インドネシアの元外交官で、海外生活が長く、自身もウイーンの国連本部のスタッフだった。子どもはいない。トン・ウオンは、昔の友人たち、世界各地の友人たちの動静を、ときどき知らせてくれる。今回も、写真つきのメールだったが、「メール、見てくれた」の念押し電話もあった。

「Happy Birthday to You」を歌いながらの電話は、モンゴルのナランゲール。彼女は、昔から、そそっかしくて、5月22日誕生日びったしというのではなく、早すぎ、遅い、の誕生日電話だ。「ウランバートルも、春ですよ、待ってるよ」、とのお誘い。

今年も、こんなお祝い電話があった。84歳って、めでたいのかな、めでたくないのかな。毎日、毎日をなんとか過ごしては、いるけれど、体力も、脳力も、日々減退しており、あと、どれくらいもつのか、そんなことも考えるポスト誕生日です。このトシになれば、だれもが考えることなのかも。日本人の女性の平均年齢は、87.74歳。だとすれば、あと3~4年。まあ、一日一日を、大事に生きるってことかも。