2022年6月6日月曜日

この本を 買う 買わないと 迷うまた

 本屋といえば、今は、丸の内の「丸善」、月1~2回、通っている。その間は、綾瀬と北千住駅ビルの本屋。買わない、買わない、といいながら、それでも、手にとって、ページを繰っているうちに、やっぱり買おうか、買おう、という具合で、買ってしまう。それらの本が、結局、いつの間にかたまりつつある。先がないのに、まだ集める気かよ。

こうして集めた本が、部屋を丸ごとひとつ占拠してしまい、にっちもさっちもいかない状態となり、思い切って処分したのが、10年ほど前のこと。一冊づつ手にとり、本を束ねながら、これが終わったら、もう思い残すことはない、なんて考えながら。

どんな「本」があったのか。

山の本:全国各地の登山関連本、串田孫一、尾崎喜八の著作も、ほぼ全巻持っていた。地図もかなりあった。ヒマラヤ、南米の山々など海外の山の本もあった。          街道本:日本国内のほぼ全ての街道本、100冊以上はあった。歩き旅で行った先々で手に入れた本、パンフレット類、各地の郷土歴史学会本もあった。旅先で手に入れた本を、郵送するために、封筒、切手をいつも持っていた。本は、持ち歩くと重いんです。     

ユダヤ関連本:早い時期、高校生だった頃、神田神保町へよく通った。それも、足立区から自転車での神保町通い。その頃から、ユダヤ問題に関心を持っていて、古本屋で安価で手に入った。同じ本を2冊、3冊買った。50円、60円で買った本が、その後のユダヤブームで、2000円、3000円で売れたのには、びっくり。売るつもりで、買い占めたわけではなかったのだが。でも、結果的に、後にイスラエル留学、卒業論文のテーマにするなど、おおいに役立った。                                    イスラエル関連本:留学時、イスラエルでは、ユダヤ問題、新しい国イスラエル事情、労働運動、政治など、帰国時に段ボール3個分を船便で持ち帰った。ヘブライ語は出来なかったが、ほとんど英語版になっており、さすがは、ユダヤ人の国、イスラエル。       各国事情資料:訪問先の国事情、特に政治、政党事情関連の本、資料は、よく集めた。なんども訪問した北欧各国の本、資料は、充実していて、研究する大学の先生方に重宝された。スウエーデン語、トライするつもりで、リンガフォンを買って試みたが、挫折。なぜかよくわからないけれど、留学したアメリカの本は、少ない。ユダヤ系アメリカ人関連本は、何冊かあったが、アメリカそのものを知る本はない。イギリス労働党、西ドイツ社民党、オーストリア社会民主党の歴史など、ヨーロッパの政党については、かなり多くの本、資料を集めており、国会図書館などへも、提供していた。                     雑誌類:バックナンバーを集めていたのは、朝日ジャーナル、月間国際問題、の2誌で、朝日ジャーナルは、赴任先のスーダンの首都カルツームまで航空便での定期購入をしていた。帰国時は、船便で、東京の自宅まで送り返すという「凝り」ようであった。

読書歴は、たどってみれば、小学校入学以前からで、京橋木挽町の洗濯屋で生まれた当時からで、意味もわからず、毎日、読んでいた新聞。病弱で、外に出かけられず、自宅二階でのひとり遊びが、意味もわからず、新聞の文字を読むということだった、だけのこと。        

     

2022年6月5日日曜日

どくだみの 白い花咲き 夏はすぐ

うちのベランダ と前のマンションとの間に20mほどの空間があり、どくだみがギシッと生えている。そのどくだみが、いっせいに白い花を咲かし始めた。あゝ今年もまた夏が来るんだ、その前に梅雨もくる、なんて84歳は独り言。

昨日は、久しぶりに北千住駅へ。駅ビルの本屋、知る限りでは、北千住界隈には、ここしかない。駅ビルは、2つあるけれど、もう一方の本屋・紀伊国屋は、もう5、6年前に閉店したままだ。佐伯啓思氏の最近の著書を目的に行ったのだが、みつからず、他に用事もないので、改札口へ。と、水戸行き列車が、あと5分で来るとの掲示。考えることなく、乗ることにした。14時2分。10両編成の常磐線だ。

なんども乗っている路線だが、なんど乗ってもいい。車窓からの景色が、毎回違うのがいい。この時間帯は、乗客も少なく、お気に入りボックスシート、ひとり占めというのもいい。空は、晴れており、取手駅あたりから、田んぼも見える。田植えは、ほぼ終わっており、田んぼには、白鷺がちらほらおり、あゝいい景色、と。左前方に筑波山が見えはじめる頃、両サイドは蓮の畑、土浦。畑というより、池っていう感じの泥沼の中で、腰ほどつかりながらの作業をしている人たち。水戸までは、まだ1時間もかかる。

終点の水戸駅に着き、ホームの売店で、納豆を買う。特にやることもなく、ホームに戻ると、さっき乗ってきた列車が、あと5分で出るとのアナウンス。学生が多い、制服の違いから見ると、3校か、4高校あるらしい。水戸といえば、茨木の県庁所在地、それくらいは、あるんだろう。上野行きの列車は、いつの間にか2両たして12両編成に、車内アナウンスも女性車掌になっていた。学生さんで、ほぼ満席だが、車内は、とても静か。みなさん、スマホに集中しておられる。途中から、通勤客の乗降があったが、北千住駅までの2時間は、それほどの混み具合ではなかった。

この日の夕食は、あたたかいご飯を炊いて、水戸納豆をいただきました。

夕刊に、鉄道運賃値上げの記事。JRでも、地方路線がたいへんらしい。深刻のようだ。利用者数が、極端に減っている路線は、廃線するしかない、という選択。コロナ影響、もちろんあったが、鉄道の赤字は、ずいぶん前から続いている。かつては、地域の足として、利用されていた鉄道だったが、人口減少、自宅勤務(テレワーク)、マイカー利用者の増加、高速道路の整備などで、乗客が減った。採算がとれない地方の路線は、廃線もやむなし、という実態。あの新幹線さえ赤字といい、地方の野菜、果物、魚などの運搬に利用しているという。

飛行機も、環境要因にマイナスといわれており、ヨーロッパとか、オーストラリアなどでは、もっと鉄道を、との動きが始まっている。早いことは、いいことだ、みたいな考え方を、この際、見直しすべき。「乗り鉄」は、困るんです。

もひとつ、インバウンド(外国旅行者)がOKに、という政府方針に、みなさん、大歓迎との声が多いようだが、オーバーツーリズムによる弊害、考えた方がいい。ネパールのカトマンドゥや、ブータンなどでは、オーバーツーリズムにならないよう、インバウンドの規制を実施している。コロナ前の海外からの観光客、異常な状態だった。受け入れ側も、儲かって、儲かって、という状況で、インバウンド向けの投資が増えていた。ということは、だからインバウンドなしで、多くの人たちが、破産という現状に直面したのだ。

鉄道も、インバウンドも、急がず、人を大切にする、が大切と思います。


2022年5月30日月曜日

誕生日 84歳 めでたくもあり めでたくもなし

 2022年5月22日、84歳になりました。

海外の友人たちからの「おめでとう」電話、メールがあった。いつも長ーい、長ーい電話のお祝いお喋り、オーストリアのフリッツイ、今年は来ない。彼女は、長年の闘病生活だったけれど、一昨年、ウィーンに会いに行った。元気だった時のように、本当に明るかった。滞在中、4日間、毎日、彼女のお見舞いに行き、いろいろ、なんとなく、他愛ないお喋りを楽しんだ。そうそう、毎年の誕生日の電話で、彼女が「娘さん、よく聞けよ、山男に惚れるなよ」の歌を冒頭に歌ってくれたっけ。ちょうどHappy Birthday to youのように。日本でいちばんポピュラーな歌と称して、日本語で彼女に教えこんだ歌。なぜか、憶えていてくれた唯一の日本語の歌だった。今年の誕生日には、フリッツイの歌を聴くことが出来なかった。さびしい限り。

イスラエルのヌザット、なぜか、今年は、電話の代わりにCARDが届いた。最愛に連れ合いだったルーベンさんが亡くなったとのこと。二人とも、イスラエルのヒスタドルート(労働総同盟)の役員だった。彼女ヌザットは、イスラエル国内に住むアラブ系女性の部門の責任者で、イスラエル労働党のクネセット(国会)議員でもあった。ルーベンさんは、10年ほど前から難病で、自宅療養だった。ヨーロッパへ行った時、イスラエルに立ち寄って、お見舞いをしたが、フィリピン人の在宅看護人を雇って、世話をしていた。ヒスタドルート,クネセットは辞任していたが、ガザに住むアラブ女性たちのためのNGOを立ちあげ、自宅を事務所にして、活動を続けていた。

シンガポールの病院院長ローチョン・ヨン、いつも誕生日には、チーズとワインを送ってくれる。今年は、奥さんのジャッキーとイタリアのミラノからの電話だった。彼は、院長だが多くの公職についており、そのひとつが、シンガポールのイタリア大使。年2~3回、イタリアのシンガポール大使館に出かける。ミラノに別荘があり、そこに滞在する。というわけで、今年の誕生日には、ミラノにいた、というわけ。こどもが二人いて、ふたり共、医師。長女のサラは、マレー人の医師と結婚、この2月、男の子が誕生、メールで写真を送ってきた。長男のデヴィット、彼の結婚は、どうなっているのか。

トン・ウオンは、ビルマ人(ミャンマー人)。インドネシア人女性と結婚、ウイーンとジャカルタ、双方に家があり、行ったり、来たりの生活。フリッツイのお見舞いウイーン滞在では、彼の家に泊めてもらった。ドイツ銀行に長く勤務していて、アジア局長でもあったが、今は、ご隠居さん。奥さんのソフィーは、父親は、インドネシアの元外交官で、海外生活が長く、自身もウイーンの国連本部のスタッフだった。子どもはいない。トン・ウオンは、昔の友人たち、世界各地の友人たちの動静を、ときどき知らせてくれる。今回も、写真つきのメールだったが、「メール、見てくれた」の念押し電話もあった。

「Happy Birthday to You」を歌いながらの電話は、モンゴルのナランゲール。彼女は、昔から、そそっかしくて、5月22日誕生日びったしというのではなく、早すぎ、遅い、の誕生日電話だ。「ウランバートルも、春ですよ、待ってるよ」、とのお誘い。

今年も、こんなお祝い電話があった。84歳って、めでたいのかな、めでたくないのかな。毎日、毎日をなんとか過ごしては、いるけれど、体力も、脳力も、日々減退しており、あと、どれくらいもつのか、そんなことも考えるポスト誕生日です。このトシになれば、だれもが考えることなのかも。日本人の女性の平均年齢は、87.74歳。だとすれば、あと3~4年。まあ、一日一日を、大事に生きるってことかも。



2022年5月29日日曜日

梅雨前の 田んぼの景色 車窓から ー秩父鉄道

お出かけついでの ちょい旅です。

東武線の谷塚駅(草加の手前)へ行く用事があり、ちょっとその先まで行ってみよう、と。111時すぎに谷塚駅から乗車、各停だったので、草加駅で急行に。この先、いろいろオプションはあるけれど、日光みたいな人込み駅は、さける、となると、空いている路線、左折することにした。急行は、加須駅行き。そこから館林行きに乗ろう。加須は、上野駅から宇都宮方面へのJRの停車駅でもある。前回は、ここでかなり待たされたが、今回は、ほとんどすぐに乗り換えられた。羽生駅には、11時20分に到着。約30分待ち。1時間に一本なので、これくらいは、許せる。

羽生駅周辺は、水をはった田んぼが多い。まだ植えてはいないが、田植のためのウ準備は、すっかり整っている。遠くに日光連山が見える。突然、車が現れ、「よろしくお願いしまーす」、選挙カーだ。ホームで待つ人20名くらい。学生さんがほとんど。土曜日なのに、休みじゃないんだ。11時58分なのに、10分前に到着。30名くらいの乗客が降りてきた。列車は3両 ワンマン。

えっ、こりゃなんだ、と叫んでしまった。電車の外側、車内天井部分いっぱいのラッピング。「World Cup 2019 Kumagaya」の文字。あれからずっと、この状態で走っているのか。乗客(といっても6名)のみなさん気にならないらしい。無視。他に吊るし広告なし。

発車、時間通り。進行前方を見るため、いちばん前の車両に座る。またまたびっくり。線路が、まっすぐなのだ。線路両サイドの電柱が見事、先々までまっすぐ、次の駅も見える。乗り降り客は、1~2名、あるいは、ゼロ、なのに、駅前には、どこでも大きな駐輪所があり多くの利用者がいるはず。土曜日でも、30~40台のチャリが見えた。という状態のまま熊谷駅に到着。ほぼ全乗客は、ここで降りた。乗ってきたのは、5名。

12時22分、発車。前方の秩父の山々がかすんで見える。ほぼすべての駅は、無人、ホームに屋根のない駅もあった。が、ひとつ、立派な、大きな屋根つきのホームと駅舎で、改札口には、女性の駅員がいた。ふかや花園駅。NHKの大河ドラマに出てくる畠山重忠の墓もここには、あるとのこと。

線路は、相変わらず、曲がらず、ひたすらまっすぐです。秩父鉄道が出来た当時、ここら辺は、土地問題などなく、とにかく最短距離で、走りやすい、まっすぐ線路が可能だったのだろう。12時50分、寄居駅到着。ここで八高線に乗り換える。先日、相模線で八王子駅まで乗ったので、なんとなく、その先の八高線と思っていたのだ。ここも1時間1本走行で、約1時間待ち。外に出て、うどんでも食べるか、と改札口へ。人がいない、無人改札だった。駅の表にも、裏にも、店は、一軒もなく、客待ちのタクシーが2台あった。

しかたなく、駅に戻り、屋根なしホームnベンチですごす。と、高校生集団がどーんと入ってきた。200人、いや300人ほど。先生らしい男性が、大きな声で列車ホームに彼らを誘導している。聞くと、寄居郊外の山を会場に、20キロ歩き大会があったとのこと。みんな汗びっしょりで、ペットボトルの水を飲んでいる。秩父鉄道で熊谷方面へ。同じ方向でなくてよかった。

八高線ホームに列車が入ってきた。13時58分発の高麗川行き。時間通り発車。対向の八高線高崎行きは、なんと1両きり。こちらは、3両だった。乗ってびっくり、八高線の高麗川駅行きは、3両で、いちばん前の車両、ボックスシートタイプ。4人がけが4つ、2人がけが、3つ、ついている車両。にこにこ顔で、2人用ボックスシート、ゲット(get).

進行方向を向いた姿勢での「旅」は、最高。寄居を出てすぐに荒川を渡り、八高線は、山間部をゆっくり、ゆっくり走ります。空は、青空、いい日、旅立ちのメロデーがなんとなく出てくる。最高、いいね、ちょい旅。小川駅、越生駅など、なぜか、栗の木が多い、白い花が咲いている。畑の端に雉が一羽。

14時25分、高麗川駅着。待ってい川越行きに乗り換える。ここから先は、もう山はなく田んぼと畑、それに戸建て住宅群。麦畑も多い。川越駅で大宮行きに乗り換え、大宮で京浜東北に、あとは、いつもの通りで、神明町には、17時45分帰着。

この日の 乗り鉄は、 東武伊勢崎線、秩父鉄道、JR八高線、JR川越線、JR京浜東北線、地下鉄千代田線、でした。



 

2022年5月23日月曜日

八高線 その先 海老名 茅ヶ崎へー相模線

関東の私鉄を調べていたら、神奈川県内を走っている相模鉄道というのがあり、本線が横浜ー海老名間24.6km、18駅と、支線のいずみ野線二俣川と湘南台間11.3km、というのがあった。ところが、もうひとつの相模線、茅ヶ崎から橋本駅までの路線を発見(ちょっと大げさかな)。やっぱり気になり、確かめることにした。

東京駅から東海道線の熱海駅行きに乗車。前回(南武線乗り)と同じプロセスです。この列車には、最前と最後部にボックスシート(4人掛けシート)がついていることは、確認済み。勿論、ボックスシートに。8時55分、東京駅発。まだ、9時前。雨は降ってはいないけれど、ビルがもやっている。右側に座ったので、今日は、大森の貝塚の碑をしっかり見ることが出来た。乗車率は、まあまあで、ほぼ全員座っている。それでも、横浜駅、9時20分、さすがに人の乗り降りは、多い。並走するように濃いブルーの電車が走っている。ブルーは珍しい。東京にはない。相模鉄道の湘南台行きだった。戸塚あたりから雨が降ってきた。歩いている人たち、みんな傘をさしている。大船では、右手の観音像が、雨にけぶってみえる。9時50分、茅ヶ崎駅着。

10時5分の橋本行きの電車が、ホームで待っていた。20分おきくらいで走っている。4両編成。いちばん前の車両に乗車。10名ほどの客。英語のアナウンス「only one driver,please push bottan when you get off」、つまり、ワンマンカーなので、乗り降りは、ボタンを押してください、と。客は、慣れたもんで、この先、どの駅でも、客はボタンで出入りしていた。

茅ヶ崎駅を出てすぐ、両サイドには、畑が見える。もちろん、戸建ても多い。まだまだ開発の余地ありかと。気になるのは、駅に着いても、すぐに発車しない、3分とか5分停車して、対向の茅ヶ崎行きを待つ。茅ヶ崎行きが優先されているのか。どうも、単線のようです。寒川駅、ここでも5分待ち。歩き旅で寒川神社には、二度来たことがある。相模の一の宮だ。東海道藤沢宿から、丹沢まで歩いた時にも、立ち寄ったことがあった。電車から右の方に大きな鳥居が見えた。

倉見駅でも待ち時間、駅前に大きな横断幕「新幹線新駅を倉見に、東海道新幹線促進期成同盟」とある。実現するのかな。雨は、本降りとなり、乗ってくる人の傘がびしょびしょだ。ようやく発車、門沢橋駅、ここは、海老名市。社家(しゃか)駅、ここでも停まる、ホームは屋根なし。10時45分、厚木駅着。ここまで、茅ヶ崎駅からなんと50分もかかった。小田急線の茅ヶ崎駅、厚木駅は、なんどか来たことがある。高層ビル、工場、マンションなど、地方の大都市です。客の多くがここで下車、と、どっと学生さんたちが乗ってきた。厚木に高校があるのだろう。駅を出ると、昔のまんまの畑風景、低い山々も見える。結局、終点橋本駅に着いたのは、11時15分だった。33.3キロ、18駅を70分かかった。

橋本駅下車。11時24分の八王子行きに乗った。この路線は、八王子から高崎行きの八高線に連絡している。八高線は、好きな路線だ。高崎駅で、だるま弁当を買って、食べながらの八高線、なんども乗っている。だがこの路線横浜線は、初めて。橋本駅を出てすぐに、結構長いトンネル。出たら、八王子郊外の戸建て住宅がびっしりの地区だった。11時35分、八王子駅着。

駅の立ちそばを食べる。12時55分の中央線特快に乗り、お茶の水駅下車。前回とほとんど同じプロセスの乗り鉄だ。さあ、改札口へ。スイカを乗せる。あゝ、今回も、やった、やってしまった・・・・・126円。すみません、でもありがとう。

相模線は、JRだったんです。今朝乗り換えた西日暮里駅からの運賃だった。




2022年5月19日木曜日

武蔵野を 南へ走る 南武線

時刻表本で、首都圏の鉄道路線を眺めていると、東京を中心に、西と東の様子の違いがよくわかる。西、主に神奈川だが、かなりの数の私鉄が走っている。小田急、京王、西武、東横、京浜などなど。それに比べると、東方面ー千葉、埼玉、茨城、栃木など東地域は、JRは多いが、東武が中心で、私鉄は、それほど頑張っていないのがわかる。足立区が東端に位置しているため、なんとなく、東方面への乗り鉄が多かった。同じ路線を、なんども乗りに行ったりしていたが、もう少し、西へも、ということで行ってのが、南武線。

東京駅から東海道線茅ヶ崎行きに乗車。10時すぎだったので、通勤時間は過ぎており、しかし、乗客は多い。新橋、品川駅では、乗り降り客が多かった。

川崎駅で下車。階段を上り、南武線ホームへ。立川行きは、頻繁に出ており、10時40分発に乗車。六両で、全員座れる状態で発車。出発前からお喋りの女性3人組、学生さんも目立つ。高齢者もいる。すぐの尻手(シリテ)駅では、南武線の支線浜川崎方面へ乗り換えられる。海の方向だ。電車は、川崎市内を走る。見えないけれど、南武線は、右手に流れる多摩川にほぼ沿って、立川まで走っている。

線路の両サイドには、10階以上もあるアパート群が続く。ここに住んでいる人たちが、朝晩、この南武線を利用して通勤・通学しているのだ。どこの駅でも、客が乗ったり、降りたり。聞き覚えのない駅名が続く。矢向(ヤコウ)、鹿嶋田(カシマダ)、平間(ヒラマ)、などなど。それに、当たり前かも知れないけれど、「武蔵野」がつく駅名がいくつかある。武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝の口。

武蔵溝の口では、どーんと降りて、どーんと乗ってきた。ここは、私鉄との乗り換え駅。学生が多い。今日日の学生さんは、男性も、女性もお洒落。へえー こんな格好で大学へ行くのか。隣りに座った若者、オーデコロンの匂いがプンプン。登戸駅で、またどーんと降りて、どーんと乗ってきた。手押し車の子連れお母さんが3人。ガチャ引きの高齢者も多い。ガチャ引きという単語は、名古屋で元気なおばさんたちが話していた単語です。つまり、高齢者たちが、手押ししている車のこと。足立区でもよく見かける光景です。

稲田堤駅前には、駅すぐのところに、大きな駐輪所があった。ここら辺は、ビルではなくて、戸建ての住宅が多い。丘陵地帯には、びっしり住宅が建っている。みなさん、毎朝晩、駅まで自転車で通っておられるのです。

春霞の向こうに奥多摩の山並みが見えると、終点の立川駅。川崎駅から35.5キロ。南武線は文字通り、武蔵野を南に走る電車でした。

余談:11時50分発の立川から東京駅行きの特快(特別快速)に乗りました。40分ほど でお茶の水駅着。駅改札で、スイカを通すと、「168円」の文字。えっ、あっ、そっか、西日暮里駅でスイカを通したのが、9時半頃、その後、全てJRだったので、いちどもスイカを通さなかったのだ。駅前の丸善で、本を2冊買った、買えた。いい旅でした、大当たりの旅だった。     

2022年5月16日月曜日

50年 沖縄今も 基地だらけ

 沖縄が日本復帰して50年、復帰を記念しての行事が沖縄那覇と東京で行われたとのニュース。沖縄知事と、日本国政府首相の挨拶が報道されている。米軍基地をすぐなくせ、という知事への答えは首相の演説にはない。どんな解決方法があるのか。

その沖縄、実は、復帰前の1969年に行ったことがある。なぜか、これまでの全てのパスポートが残っている。「身分証明書」の文字がある粗末な厚紙の表紙で、発行は、日本政府総理府とある。実際にその証明書で沖縄入りしたんは、1969年1月25日で、5日間滞在している。目的は、現地の国際大学の取材だったが、復帰前の那覇市や地方へも行ったと思うが、あまり覚えていない。その後、復帰後の沖縄へは、3度ほど行っている。仕事が1回、あとの2度は、観光目的。それでもかつての激戦地区、ひめゆり、平和祈念公園、サミット開催地、米軍基地などを廻った。いろんな思いがある。

保存のパスポートの束(全部で47冊)の中に、日本政府発行でない、こんなのがあった。発行は、国際機関で働く人のためのパスポートLAISSEZ PASSERレセパセ。内部文章は、英語、スペイン語、フランス語、中国語だ。ニューヨークの国連本部、アフリカスーダンの首都カルツームで働いていた時に使用していたものだ。特権というか、これを携帯している人は、空港などでの出入国ゲートが、一般旅行者とは、別のところだった。

あの頃のパスポートには、予防接種証明書がついている。アジア、アフリカなど途上国への渡航には、この証明書が必要だった。なぜか、今は、コロナの予防接種署名書が不可欠のようだ。

パスポートを忘れた夢をときどきみる。実際には、人生でたった一度だったが、忘れた、があった。アイスランドの首都レイキャビックへ行った時のこと。前の晩、現地の友人たちと盛大な飲み会だった。朝いちばんの飛行機に乗るため、タクシーでホテルを出た。走りはじめて、チェックしたら、パスポートがない。あわてている客の様子に気づき、運転手さんが「どうした?」、というので、ホテルにパスポートを忘れたみたい、というと、無線で会社に連絡、会社からホテルに連絡し、戻ったホテル玄関で、ホテルスタッフが待っていてくれた。なんと、ホテルの部屋のテーブルの上に置いてあったのだ。運転手さんは、空港にも連絡をしてくれた。まさに離陸寸前の搭乗機が、待ってくれていて、最後の乗客だった。あの時のタクシーの運転手さんには、ちゃんとお礼を言わなかったことが、今もすまない気持ちだ。そういえば、どんな人だったかも、思い出せない。でも、なぜか、今になっても、ときどき空港へ行く途中、パスポートを忘れた夢をみる。