2022年4月10日日曜日

むかし馬 4.5キロ いま電車  龍ヶ崎鉄道

りゅう鉄って知ってる? と友人から訊かれた。りゅうてつ・流鉄、最近、乗ってばかり。でも気になってJR時刻表をめくってみた。ありました、あるではないか流鉄。茨城県の竜ケ崎にありました。

実は、竜ケ崎市へは、行ったことがある。なんにもない駅前、たまたま来たミニバス(コミュ二テイバス)、市内一周というバスで、竜ケ崎市をひとまわり。その時も、たしか、客ひとり、貸し切り状態で、運転手さんがいろいろ説明してくれた。ニュータウンの竜ケ崎市は、早くから広大な土地に戸建ての家を建て、東京通勤の家族の受け入れてきた。おかげで、市は、いろいろな施設も作った。図書館、体育館、文化センター、大きな公園などなど、ミニバスは、これらの施設をぐるっとまわった。大きなショッピングセンターもあった。そうそう流通大学も郊外に。というわけで市についての基礎知識はあった。

この日も、都心と反対方向、北千住駅から常磐線で、東方向へ。竜ケ崎駅に11時到着。この駅は、主駅ではないのに、なんと、ホームから改札口への上り降りが、エスカレーター。だいたいが、上りだけなのに、下りもエスカレーターになっていた。ちょっと離れたところには、エレベーターもしっかりついている。

龍ヶ崎鉄道、どこから乗るのか。ホームは、JR竜ケ崎駅の外にあった。いちど駅舎を出て建物のはじっこにホームはあった。改札横に、こんな看板「1971年、日本の旅客列車で初めてワンマン運転をした路線です」。なるほど、なるほど。改札口、もちろん自動化、駅員の姿はどこにも見当たらない。ホームの駅名は、『佐貫驛』(さぬき駅)。この地名だ。竜ケ崎鉄道は、全長4.5キロ、これを7分かけて走る。流鉄より短距離だ。双方とも関東鉄道が経営しているが、やるねえ。

昼間は、1時間に2本、しばらく待つとご到着。一両編成で、それでも20名ほど降りてきた。一往復14分働いてきたワンマン車の運転手さん、それでも交替。別の運転手さんが、カバンを下げて登場。電車のあちこちを点検。発車、乗客は、12名、うち学生さん5名。

電車は、しばらく、といっても一分間くらいだけれど、市街地を往く。じきに田んぼと畑の中を走る。三つしかない駅の真ん中『入地驛』(いりちえき)に到着。駅でなく、驛というのが、なんともなつかしい。駅名の横に、ひらがな、英語、韓国語の表示があった。国際的なのだ。3名下車。残りの距離を終点駅に向けて、まじめに走る、ガッタンゴットン、本当にそう聞こえる。シベリア鉄道の列車のあの音そっくりだ。

間もなく到着。『龍ヶ崎驛』、竜ケ崎鉄道の終点駅です。入地驛は無人だったが、ここには2名の駅員スタッフが、改札口に立っていた。スイカを出すと、「ありがとうございました」、とお礼をいわれてしまった。同じ電車で、戻るため、スイカをかざすと、もういちど「ありがとうございました」。

高校が近くにあるらしく、戻りの電車は、ほぼ満席状態、一般客は、5名。時刻通り正確に発車。最前列で前方を見たら、なんと線路がほぼまっすぐ。勿論、単線だけれども、一直線に線路が見える。帰ってから調べたら、この路線、明治33年(1900年)、馬車鉄道として開通したとあった。そっか、馬が客を乗せて、線路の上をひっぱっていたのだ、だからまっすぐ。そんなこんなで、戻りの7分間は、あっという間に終了。佐貫驛に帰着。

JR竜ケ崎駅から常磐線で取手駅へ。ここから関東鉄道の路線バスでつくばエクスプレス(TX)の守谷駅へ。客は3人、途中で降りて、あとは、運転手さんと二人っきり。周辺は、麦畑が広がる田園風景、「間宮林蔵旧宅」の看板を見た。洪水被害のあった小貝川の橋を渡り、守谷市へ。昔、お城があったという史跡前、城跡停留所があった。まだ建物が新しい小学校、校庭周辺のさくらの木々、まだ背は低かったが、花は満開だった。守谷駅に着いたのは、13時15分だった。終日、晴れの天気に恵まれた。


 

2022年4月9日土曜日

満開の さくら見物 路線バス

昨日も、今朝も、ラジオも、テレビも、ウクライナのニュースでいっぱい。ロシア軍に何人殺されたという数字が発表されています。でも、あの戦争では、沖縄だけでも10万人以上の住民が殺された。東京大空襲で下町の惨状を読むと、その凄さは、ウクライナと同じ(半藤一利氏著書「日本のいちばん長い日」)。とにかく戦争は、してはいけません。

そんなことから、ふっきれた一日を、と本日もちょい旅に出かけました。

高崎線から八高線に乗ったのは、たしか三月でした。あの時、小川町駅あたりで見た街並みは、これまでのとちょっと違っていた。熊谷駅からの路線バスで行った時、たしか駅周辺に見どころなし、と思っていたけれど、そうでもないんじゃないか、と。駅ポツンではないことを、確認しなければと思っていました。で、その実態調査、っていうわけで、再度、小川町駅まで行ってみることにしたのです。さくらも、満開のはずだし。

この日も晴天。バスの始発の熊谷駅へ。熊谷といえば、やはり、高崎線で行く、というのが定番だけれども、乗り鉄は、そこがちょっと違う。東武スカイツリーライン(東武線)で東武動物公園駅まで行き、加須駅経由で、羽生駅へ。秩父鉄道の始発駅です。ここから熊谷駅へというルート。動物公園駅でも、加須駅でも、乗り換え時間、待ち時間もあって、時間ロスはあったけれど、それはそれで、折込み済み。この日は、入学式の学校が多いようで、どの電車にも、母親同伴のピカピカ新入生たちに会いました。子どもたちは、新品の制服にきまっているけれど、母親(父の出番ではない)は、黒、白など一張羅・晴れ着姿で、上から下までバッチリきめている。というわけで、車窓よりも、車内見物。

秩父線は、3両編成、ワンマン、スイカOK.乗客は、一両に4~5名。 どこの駅にも、桜、さくら、桜で、それもみな満開状態でした。12時25分、熊谷駅着。この電車は、この先、秩父の影森まで行く普通列車。ここで乗車の客は、少ない。

改札を出て、まっすぐ駅前のバス停へ。小川町駅行きは、13時15分。「よし、よし、いいぞ」、といいながら、駅構内に戻る。うどん屋さんです。熊谷駅の名物、ここで下車してまで食べる、常連さんです。いつものかけうどん、550円、いただきました。

小川町駅行きの路線バス、時間通りに発車。駅前を左折し、中山道に出る。しばらく走って、老舗デパートの八木橋のところで、左折、荒川大橋へ。手前の荒川土手、ここが名所の桜並木です。真っ白なさくらの花の帯が、ずっと続いている。満開状態です。荒川大橋を渡り、右方向へ。この道は、旧道で、周辺は、集落、畑。どこの家も、庭先には、花、花、花で、桃、桜なども見事、ところどころにまっ黄色な菜の花畑。6名の乗客は、途中の県立循環器病院で下車。あとは、ひとり、バス一台、ひとり占め。いい気分です。

13時55分、小川町駅前に到着。運転手さんに聞くと、このバスが熊谷駅に戻るのは、20分後とのこと。で、駅周辺を一回り。旧街道の宿場だったこともあり、旧家、それになぜか鰻料理店が3軒もあった。そういえば、小川町の伝統技術の和紙づくりを見にきたこと、あったっけ。忘れてた。

再びバス停へ。時間通り出発。乗客は、3名。春爛漫の農村風景を堪能しながらの路線バス旅、最高でした。終点の熊谷駅から、東海道に連結している電車ー沼津行き、ボックスシートで、ご機嫌に上野駅帰着。生きているって、こういうことなのだ。

2022年4月1日金曜日

汽車の旅 さくら満開 どこもかも

朝起きて、そらを見上げ、「それ 行け」パターンでない、ちょい旅。前日に、その気になって、北千住駅へ切符を買いに行った。天気予報では、曇り空、とのことだったが、 どうせ車内移動、車内旅行なので、ま、いいかな、と。

ところが、です。北千住駅で、大変なことに。これまであった「みどりの窓口」がなくなっていたのです。スペースを半分にして、自動券売機が2台設置されており、機械の前で、戸惑っている人のおかげで、行列ができていました。学生さんたちが春休みということもあり、並んでいたのは11名。マイクで内部の駅スタッフとオンラインしながら、手順をふんでの券売機。

結構、待ちました、30分ほど。その頃になると、中からお助けマンのスタッフが出てきて、手伝ってくれる。ジパング利用なので、手帳番号、発行年月日などをまず聞かれ、乗りたい列車、時間帯なども。結構な時間がかかり、並んでいる人がいらいらしているのがわかります。ともかく終了し、「近くの駅で、みどりの窓口のある駅って、どこですか」、と尋ねると、「上野駅です」とのお返事でした。

さて、手間をかけて手に入れた切符で、新宿駅へ。7時30分発の特急あずさに乗れました。全席指定です。以前は、自由席があったのですが、いつの間にか指定席だけの特急。座席の上に小さな電池が三ついている。緑は、予約済席、黄色は、このあと停車の駅で、客が乗るかもしれない席、赤色は、当面は、空席、という説明がありました。北千住駅で買ったのは、特急券の自由席だったので、赤色席に着席。ところが、八王子駅手前で、黄色から緑になり、駅で男性が乗ってきた。隣りです、車窓席。サラリーマン風のこの男性、発車すぐ、おにぎり2個を食べ、スマホを取り出して・・・朝日がまぶしいので、窓は、シャッターをおろしています。残念。車窓の景色を楽しみにしている乗客がいるのに。

勝沼ぶどう卿駅は、さくらで有名で、ここからの甲府盆地の景色は、最高です。仕方なく、席を立って列車の出入り口で、いつもの景色を堪能しました。春霞にけぶる景色、一面のぶどう畑、桃の畑、白い花、うすピンクの花がグラデーションになり、とってもきれいでした。

甲府駅に到着。身延線ホームへ。待つことなく、8時45分発の特急ふじかわに乗れました。駅前のお城のさくらは、満開、ジョギングの人が2人。4両編成、車掌1人、スイカOK。結構、乗ってます、20名くらいか。甲府市内を走り、善光寺駅通過。ここの善光寺には、二度、きたことがある。武田信玄時代、戦火を免れるため、長野の善光寺の仏像などが、いっとき引っ越してきた、という話をきいた。右前方には、南アルプス。山頂は、まだまだ雪だが、里は、どこもかも一面花、花、花、春爛漫です。どの駅でも、さくらの木々が植えてあり、どれもこれも、もう満開です。

笛吹川を渡る。市川大門駅というのがあり、市川團十郎発祥の地、とのこと。ここの桜も最高。甲斐岩間駅には、大きなはんこ型の看板に、「ハンコの町六郷」の文字。そっか、ここだったのか。

富士川が眼下に見えはじめ、身延駅に停車。乗客は、ほとんどここで下車。日蓮さんが開いた久遠寺、二度ほど行ったことがあります。どちらも歩き旅。静岡側からの旅でした。

車窓右側の富士川、あちらの岸にも、こちら側も、見事なさくら並木。ぜーんぶ満開。遠くの山々にも、ところどころに山桜か、白い花がてんてんに見えます。気の早い一匹の鯉が、農家の庭で、泳いでいます。じきに富士宮、静岡県です。と、突然、目の前に富士山の雄姿。頂上までしっかり見えます。富士宮の市街地も眼下に広がっています。天気も最高、いいですね。この景色のために、来たのだ。。。

10時30分、富士宮駅着。待っていた東海道線に乗り換える。熱海行きだ。4両で、ワンマン車。結構な乗客率、若い男女がほとんど。ほぼ全員、スマホ熱中族。市内は、大きな工場が多く、煙突が目立つ。右側、国道の向こう側は、沼津から続く千本松原が続く。東海道の旅の時には、なんども歩いた海岸道。ここら辺は、あまり桜はない。沼津、三島、そしてトンネルを出ると熱海駅。

駅周辺をちょっと歩いてみたが、たいそうな人出だった。そこそこに引き上げて、11時45分発の東海道線高崎行きに乗る。この電車は、ボックスシートが最後部、最前部、に二両つづついている。もちろん、最後部のボックスシートに。湯河原駅のさくら、どちらかというと、白っぽい花だが、満開。右は、海、左の山側は、みかん畑。しばらくさくらの満開風景が、楽しめました。

13時45分、上野駅着。熱海駅から2時間かかった。身延線乗りは、3度めだったが、この季節、満開のさくらを愛でる旅、天候にも恵まれ、最高だった。全貌の富士山、あれもよかった。



2022年3月27日日曜日

終点まで12分 流鉄流山線

 ちょいと新松戸あたりまで行ってみるか、と綾瀬から千代田線に乗った。常磐線は、北千住から松戸までの間は、停まらないので、各駅停の地下鉄千代田線しかない(実際には、北千住駅からは、地上走行)。天気もいいし、見慣れた景色を楽しんでいた。馬橋駅、次が新松戸駅。いつもは、南側を眺めていたので、気づかなかったのだ。馬橋駅ホームの北側に、でっかい文字で「りゅうてつ」、とひらがな文字。えっ、といいながら下車。発車直前だった。階段を上がって、行ってみた。駅ホームのはずれに、「流鉄流山線乗り場」とあった。階段を降りながら、思い出した。数年前だったか、乗ったことがある。

スイカはだめで、自販で切符を買う、発車のベル。飛び乗る、閉まる、いいタイミングだった。二両編成、ワンマン車。10名ほど乗っている。車内に各駅間の走行距離、所要時間、それに時刻表が張ってある。始発から終点の流山まで、駅の数は、7つ。

 馬橋ー赤谷ー小金城跡ー鰭ケ崎ー平和台ー流山  総距離 5.7キロ  

                        所要時間 12分

午後2時だったが、乗り降りは、結構ある。時刻表をみると、朝晩の稼働時間帯は、10分おきに出ており、昼間でも3~4本は、走っている。昨今、日本中、あっちこっちで、鉄道の廃線がすすんでいるが、この駅数、所要時間にしてはなかなか健闘している。

そのわけは、すぐにわかった。線路すぐわき(右側)には、びっしり戸建ての住宅、見ると駐車場のない家も。これら住宅の住民たちは、日々の足として流鉄を利用しているのだ。馬橋駅に出て、千代田線に乗れば、40分ほどで大手町へ出られる距離なのだ。電車賃も、最長で200円だった。

線路左側は、はば3mほどの水路で、桜並木。3分咲きほどの桜の下を幼稚園児たちが手をつないで歩いていた。

終点の流山駅に着いた。女性の駅員がいた。

以前ここへきたのは、流山線に乗ることではなく、ここ流山の富士塚を見るのが目的だった。駅前の一本目は、現在の流山街道、も一つ先の万上通りの方が古い。この通りに、浅間神社があり、立派な富士塚がある。幕末、この神社に近藤勇ら新選組が、本陣をおいたことでも知られている。他にもいくつか史跡のある通りである。通りの西は、江戸川の土手。ここから、富士山が見える。当時、水路での江戸からの要路だったのだ。

駅前の流山街道に戻り、京成バスで松戸駅まで。1日に10本しかなく、大型トラックがばんばん走る街道を行く路線バスだ。乗客は、乗った時のひとりは、途中の日大病院で降りた。乗客ひとりの路線バス。停留所に面白い地名があった。「膝丸(ひざまる)」、「主水(もんど)」など。混雑で、1時間もかかってしまった。、これなら12分の流鉄の方が、はるかに速い。

松戸駅から乗った千代田線、途中で、江戸川の鉄橋を渡る。江戸川土手が、菜の花で、まっ黄色な絨毯になっていた。まだまだ陽は、高い。


 



2022年3月22日火曜日

ちょい乗りの旅ー八高線

 がくるのが、だいぶ早くなった。5時半頃から、少しづつ明るくなる。本日は、土曜日、3月19日。夕べ、蔓延防止措置が3月21日まで、その後は、全面解除、旅行もOKになるとの政府発表があった。今朝の新聞には、さっそく見開きの広告ーGO TO トラブルじゃあなくて、トラベルのPR満載。それなら、ちょいと行ってみるか。都心の土日は、混むので、都外、県境を越えた旅も悪くない、なんて、いろいろ言い訳をしながら、上野駅へ。上野の方が、目的地の選択余地が多いから、東京駅より上野駅です。

9時30分発の高崎行き、これにすると決めた。週末なのに、準急並みのアーバンというのもいい。ボックスシートのある最後車両に乗車。乗車率は、土曜日にしては、混んでいるが、ほぼ全員が座れる状態。上野を出て、鶯谷、日暮里、西日暮里を通過、と尾久駅も通過。列車の車庫のある尾久駅、ここには、高崎線も宇都宮線も停車するのに、土曜だからか、アーバンだからか。

赤羽駅には、停まった。これじゃあ座れない、というほどの乗客。ボックスシートを目指す人たちが多いってことか。「ここ、いいですか」、と高齢のご夫妻。どうぞどうぞ、というわけで、着席。座るなり、ご主人、カバンから取り出した本を、めがねをかけて読みはじめる。図書館から借りてきた本だ。奥さんは、といえば、大きな財布をしばらくいじっており、乗車券を確認したり、東京都のシルバーパスを取り出したり。彼女、都民です。熊谷駅で、多くの客が下りたけれど、おふたりは、一向に降りる気配なく、旦那は、めがねをかけたまま、爆睡状態。奥さんの方も、目をつぶっており、結局、終点の高崎駅まで、ご一緒の「旅」でした。あの二人、高崎止まりなのか、その先、どこかへ行くのか、でも、観光じゃあないみたいだけれど、ま、どうでもいいことです。

改札を出て、駅構内を一回り。高崎駅といえば、昔、月2~3回、通ったことがあります。山岳会に属していた頃の話。西上州の山、20峰くらいあり、それらすべてを登頂する、という計画でした。東京をいちばんの電車で出て、高崎駅で上信電鉄で終点の下仁田駅まで乗り、駅から歩いて、目的の山へ、というのが日程でした。山が低いので、だいたい4~5時間で往復可能の登山でした。どちらかというと、妙義山の裏側です。その際には、朝いちばんの高崎での駅うどん、帰りは、下仁田駅近くの茶屋でのこんにゃくの刺身(と日本酒)というのが定番、楽しみでもありました。

この日も、上信電鉄戦の改札近くの立うどん店へ。もちろん、そばもありますが、群馬は、うどん県、うどんの味は、絶品です。すうどん、280円、値段はあまり変わっていない。

さて、八高線のホーム、3番線とあるのに、その3、がなかなかみつからない。2番線ホームの最先端、駅構内からは、ずっと離れていました。11時56分発の高麗川行きは、一両編成、ワンマン車。座れない乗客も。沿線の駅は、すべて無人で、しかし、スイカ使用可でした。そういえば、いつだったか、いちど乗った記憶がある。それと、高崎から、ほぼ八高線沿いの街道を、鎌倉までの歩き旅をしたこともあった。いくつかある鎌倉街道のひとつで、「いざ鎌倉!」の緊急事態の街道なので、途中、宿場がなく、友人の親類の家に泊めてもらった。

八高線は、始発は、本来ならば倉賀野駅だが、いつの間にか、高崎駅になっている。列車は、高麗川駅までと、高麗川駅から八王子駅までの二段階の路線になっている。高麗川駅から、八王子駅の方が、乗客が多く、車両も多い。

車窓からの景色、もう春だ。でも、麦畑が多い。青々とした麦が、ずーと、続いている、ところどことに菜の花の黄色、れんげ草のピンクがいい感じ。春ですね。高崎から67キロを約1時間で高麗川駅着。ここで、川越線に乗り換え、大宮経由で、神明町には、4時すぎ帰着、今日もいい旅でした。



2022年3月16日水曜日

華厳の滝で拾ったご縁(五円) 路線の旅日光

 いつものように朝4時、雨は降っていなかったが、曇り空。昨日、洗濯したし、布団も干したし、今日は、どうするか。ストレッチ、体操、エアロバイクにも乗った。般若心経もあげた。朝のルーティングもすませ、6時30分。東の空が明るくなってきた。空が青い。

昨日、買ってきたばかりの、今月から大幅に更新されるというJRの時刻表、パッとひろげたら「わたらせ渓谷鉄道」のページ。

  「行くか」、「行こうか」、「行こう」。。。。。

ちょっと厚着をして、ペットボトルに水を入れて、玄関を出る。7時10分のバスに乗る。北千住駅は、通勤の人たちで、もう混みはじめていた。駅売店でコロッケパンを2個買う。特急列車ホームへ。5~6人乗客。ここで待つこと40分。

8時15分のけごんスペーシア日光行き、全座席指定だけれど、始発の浅草からの客は、おらず、北千住から3名のみ。週末以外は、毎日、こんな状態で走っているのか。自宅の水道の水を飲みながら、コロッケパンを食べながら、これから職場へ、学校へ急ぐ人たちの姿を見ながら、「こちらは、旅ですよ」。月曜の朝、空は青空、いい日、旅立ち。

8時50分、利根川の鉄橋を渡る。土手は、菜の花で、まっ黄色。大谷石の蔵のある農家が点在する。畑は、もう春です。春霞で、遠くは、見えない。

9時47分、東武日光着。日光には、宇都宮からのJR日光駅もある。まっすぐバス停へ。

「えっ 出たばかり」、9時30分、本日二本目のバス。なにしろ、一日6本しかない足尾銅山(旧)の病院行きのバス、日光市民のためのバスなのだ。3時間半、どうやって時間をつぶすか。上(中禅寺湖)へ上るバス停では、待つ人4名だったので、決定、中禅寺湖に行くことにした。混んでいた頃と比べると、信じられないほどのがら空き状態。いろは坂も空いていた。30分ほどで、中禅寺湖着。道路わきには、残雪が残っており、しかし、まったく寒くはなかった。

人っけはなく、みやげ物店、食堂なども、多くが閉まっている。華厳の滝、入場料窓口にも人の姿はない。料金を払わず、ただで見ることが出来るところへ。階段を下りると、目の前に華厳の滝。雪解けなのに、水は少ない。迫力なし。と足元に発見、五円玉。周辺にダレも居らず、拾いました。ついている、ご縁があるはず、ポケットに入れた。

修学旅行なのか、バスが何台も通る。華厳の滝へ行くらしい。さっき降りたバス停に戻る。とすぐに、東武日光駅行きのバス、湯本からのバスがやってきた。乗る。「ついているねえ」、とポケットのご縁玉に触れた。帰り(下り)のいろは坂も、スムーズ。なにしろ月曜日だし、ご縁だもんね。

12時15分、駅に着いてしまった。足尾行きバスは、13時7分。昼食、どうするか。開いている食堂、結構、いい値段だ。コンビニでおにぎりを買う。日光には、コンビニが二軒しかない。駅近くの一軒に。駅舎の外のベンチで、山々を、青空を見ながら、お昼ご飯。

時間通り、バスがきた。マイクロバスで、10名ほどの座席。男性がひとり、のみ。町営なので、地元乗客は、別料金だけれども、外部のお客さんは、高め料金、それも現金払いのみ。道路は、それほど広くは、ないけれど、足尾を抜けて、桐生方向につながっている。周辺は、山と沢、廃屋もいくつか見える。足尾銅山最盛期時代には、人口は、多かったにちがいない。長いトンネルを抜けると、人家が見えてきた。

1時半、間藤駅に着いた。約30分、乗車賃は、現金で、1120円。無人駅、なんどか来たことがある。時刻表を見ると、出たばかりで、次の電車は3時9分。1時間半ほど、待たねばならない。幸運の五円玉、ぜんぜん、ご利益、ないんじゃないの。でも、ここまできて、他に選択の余地はなく、とにかく、待つしかない。周辺を歩いても、なーんにもない。山しかない。

駅の案内版によると、足尾銅山全盛期の頃、中国人、朝鮮人が働いていたらしい。近くに、中国人捕虜収容所跡、朝鮮人供養塔、という記述があった。見る人が見ると、国際問題に発展しそうな、史実、そんな気がした。

上着14時45分に、電車が来た。終点で降りた客は、女性1名。ワンマン車の運転手さんが、をぬいで、車内掃除を始めた。終わると「お客さーん、乗ってていいですよ」、と。時間ぴったりに出発。一両編成の運転手と客一名。この先、相老駅で降りるまで、乗った客は10名以内だった。これじゃあ、クラウドファンディングをしても、持たないはず。それでも、春になり、桜が咲く頃は、トロッコ列車も走るので、賑わうのだろう。無人駅前の広場で、猿(野生)が3匹、珍しそうに電車を眺めていた。

1時間20分かかって相老駅に着く。料金1070円。北千住まで2270円、赤城リバティりょうもう特急に乗車。ここでも45分間、待った。華厳の滝の五円は、ほとんど、「いいご縁」の効果がなかった。

それでも、北千住駅には、6時50分に着いた。朝、うちを出て、12時間、結構、長ーい、一日だった。くたびれたけれど、ま、これも、ちょい旅。

2022年3月12日土曜日

あの日、東京でも10万人が、の事実

 ウクライナで、ロシア軍が町ぐるみ破壊を続けています。一般市民が逃げ惑う姿が、テレビのニュース番組で、繰り返されています。世界中の人たちが、こうしたシーンを見ながら、しかし、なんの手助けも出来ない、どうなる、どうする、を繰り返しながら。

こんなテレビを観てばかりいないで、どっか、出かけなければ、と、久しぶりに都心へ。山手線で、新橋駅へ。ゆりかもめ、に乗りました。たまには、海を見よう、と。人流を気にしながら。

新橋駅から終点の豊洲まで、30分くらいかな。ま昼だったので、乗客は、ほんのちらほら。お天気は、最高だったけれど、春霞がかかっていて、スカイツリーあたりは、ぼーとしています。座席は、いつものこだわりで、六両編成のいちばん前か、いちばん後ろの席、ここは、窓が全面ガラス張りで、東京湾の景色を堪能できます。この日は、最後部。始発から終点まで、他に乗客は来ずに、独占状態だった。

この5,6年の間、まったくご無沙汰だったけれど、それ以前、一年に一度、必ず乗ったことがあった。お台場の海浜公園で、毎年開催されていた「24時間チャリティーランニング大会」に、参加していました。いつも、ゆりかもめを利用していました。

東京ベイエリアは、本当に、別世界、高層ビル群だらけで、これには、びっくりしたり、感動したり。終点の豊洲駅に着く頃の車中は、乗客は、2人しか乗っておらず、運転手もいない電車なので、ま、こんなもんか、と。それにしても、この電車、いったいどうやって走っているのだろうか。

豊洲駅構内をさがしても、説明パンフレットらしきものはなく、改札近くの受付オフィス、にヒマそうな係のお兄さんに、

「あのう、ゆりかもめって、モノレールじゃあないですよね」と、「どういう仕組みで走っているんですか」、と尋ねると、ちょっとお待ちください、と事務所の中へ。説明書みたいなのを持ってきて、説明してくれました。

電車の車輪は、4個のゴムタイヤです。エネルギーは、電気使用、とのことです。だから線路なし、接触用の電柱もない。その説明書は、いただけないのですか、と懇願したものの、前には、沢山あったんですが、残部なしなので、「ごめんなさい」、と。この間、15分ほどだったけれど、他に客なし。ゆりかもめは、モノレールでは、ありません。

ゆりかもめ豊洲駅から外に出る。ここら辺は、はじめてではない。東銀座方面から都バスのスカイツリー行きに乗ると、ここを通るのを、承知していました。東劇でシネオペ(オペラを映像で見る)のシリーズを観ていた頃は、このバスを愛用していました。

深川の木場あたりをまわり、清洲橋を渡り、吾妻橋手前で右折、目の前に、でかいスカイツリー。634m(むさし)というのと、オープンが5月22日(自分の誕生日と同じ日)だったので、この数字は、しっかり覚えています。いつもは、ここでバスを降り(終点)まっすぐ東武線の業平橋駅へ、今は、スカイツリーライン駅っていうんですが。

エスカレーターで、4階へ。ここで搭乗券を買う。修学旅行の学生さんたちと、エレベーターで、50秒でいっきに第一展望台に到着。この上へのエレベーターは、別料金です。ここまでは、2100円。ここで十分です。スカイツリーは4回め。すぐ下に隅田川。両国橋、吾妻橋、言問橋などは、見えるが、東京タワーは、うっすら見える。右回りの下界は、本所あたりだ。高層ビルは、それほどない地区。それでも、民家がびっしりだ。

今から77年前、1945年、アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾を雨のように落とし、本所など下町一帯がまたたく間に大火災。当時の日本の家屋は、紙と木材で出来ていたために、消化する間もなく灰となった。『日本のいちばん長い日』という著書で、ご自身の体験で語った半藤一利さん。吾妻橋あたりは、逃げ惑う人たちで大混乱、川には、死体が積み重なるように流れていた、と悲惨な事実を書いている。

ウクライナの人たちの惨状は、77年前の東京下町の大惨状と重なる。東京大空襲の方が、何倍もの死傷者だったことを、忘れたわけではない。戦争という名の、愚かな人間たちの争い、いつまで続くのか、繰り返されるのか。