1995年1月17日、今から25年前のこと、阪神・淡路大震災の日だ。あの時間、朝の5時46分、震度7の直後のテレビ映像をながめながら、朝食を食べていた。この頃、指圧の学校の生徒だった。朝ご飯を食べて、6時10分に家を出る暮らしをしていた。
高速道路から車が落ちる、神戸の街のあっちこっちから火の手が上がる、倒壊した家の周りに、人々が集まっている様子など、などが映っていた。えらいこっちゃ、といいながら、自転車で綾瀬駅へ。電車の中では、まだ知らない人がおり、テレビやラジオを見た、聴いた人たちが、「神戸は、大変らしいよ」、と話していた。
知り合いは、神戸市内在住のUさん。坂の上の木造住宅は、半壊。その後、市役所からいくらかの修理費が出たが、ほとんど足りないので、今だに冬になるとすき間風で寒いので、近くのホテルへ泊まりに行っているとか。夕方、5時すぎにホテルへ電話そすると、空き部屋がゲット出来るんだそうだ。
もひとりは、自宅が全壊し、震災2年後に復興住宅に入れた友人Aさん。いい部屋の当たったと喜んでいたが、年金暮らしにはいり、孤独死にならないように、出歩いているとの近況だった。
阪神大震災といわれているが、震源地は、淡路島。で、その震源地を見に行ってきた。淡路島の震源地は、震度7の地震の現場が、そのまま残されていた。見学者もちらほらで
ここもやっぱり風化しているのだと思った。
その後、東北で大津波の大地震があり、阪神のことは、人々の脳裏から離れていったようだ(2011年)。どちらも、まだまだ課題を抱えており、特に福島の原発は、この先、なん十年も続く。
電車でも、バスでも、大人も、子どもも、ひたすら下向きになり、スマホをみつめている。メル友との会話なのか、ゲームなのか、映画なのか、わからないけれど、この人たち、もし、今、この瞬間、地震がきたら、どうするんだろう。
災害は、忘れないうちに、やってくるんです。
2020年1月17日金曜日
2020年1月11日土曜日
旧正月のモンゴル
元旦に電話。モンゴルからだった。
「あけましておめでとう」(英語で)、
「お正月、ウランバートルへ来る?」
「いつ、お正月は?」
と尋ねると、1月25日とのこと。
モンゴルへ、はじめて行ったのは、1991年9月だった。それ以来、多い年には3回、ほぼ毎年行っている。モンゴルの正月(旧正月)、つまり、ま冬のモンゴルへは、4回ほど行っている。
首都ウランバートルで、寒い日は、マイナス25℃、だいたい15℃~20℃くらいの寒さだ。それでも、人々は、外を歩いている。街の中は、なんとなくスモッグでぼんやりしており、車も、のろのろ。しかし、セントラルヒーティングで、室内は、あったかだ。
モンゴルの正月は、親類、友人宅を訪問する。その際、お年玉は、子どもではなく、高齢者・長老にあげる。どの家でも、出てくる料理は、ほぼ同じメニューで、塩で茹であげた羊の肉の大きなかたまり、これを、ホストのご主人が、ナイフでちぎって客をもてなす。水餃子、は、家によって、味も、サイズも異なり、たまねぎの多いもの、肉が多いものなどで、出されたら必ずいくつか食べなければならない。初めての時、行く先々のお宅で食べた餃子の数が、54個。しばらく、食べたくなかった。飲み物は、馬乳酒がメインで、他にウオッカ、ロシア製のウイスキーもあった。
お年玉には、はじめの頃は、靴下、ハンカチ、化粧品などモノだったが、今から10年ほど前からは、「現金」になった。親類が多いので、総額もばかにならない。正月にモンゴルへ行く際には、日本のお年玉袋に、5ドル、10ドル紙幣を入れて、持っていく。
正月の新聞には、海外旅行の全面広告が、何ページにもわたって掲載されていたが、さすがにモンゴル行きはなかった。観光なんか出来ない冬のモンゴル、寒いです。
「あけましておめでとう」(英語で)、
「お正月、ウランバートルへ来る?」
「いつ、お正月は?」
と尋ねると、1月25日とのこと。
モンゴルへ、はじめて行ったのは、1991年9月だった。それ以来、多い年には3回、ほぼ毎年行っている。モンゴルの正月(旧正月)、つまり、ま冬のモンゴルへは、4回ほど行っている。
首都ウランバートルで、寒い日は、マイナス25℃、だいたい15℃~20℃くらいの寒さだ。それでも、人々は、外を歩いている。街の中は、なんとなくスモッグでぼんやりしており、車も、のろのろ。しかし、セントラルヒーティングで、室内は、あったかだ。
モンゴルの正月は、親類、友人宅を訪問する。その際、お年玉は、子どもではなく、高齢者・長老にあげる。どの家でも、出てくる料理は、ほぼ同じメニューで、塩で茹であげた羊の肉の大きなかたまり、これを、ホストのご主人が、ナイフでちぎって客をもてなす。水餃子、は、家によって、味も、サイズも異なり、たまねぎの多いもの、肉が多いものなどで、出されたら必ずいくつか食べなければならない。初めての時、行く先々のお宅で食べた餃子の数が、54個。しばらく、食べたくなかった。飲み物は、馬乳酒がメインで、他にウオッカ、ロシア製のウイスキーもあった。
お年玉には、はじめの頃は、靴下、ハンカチ、化粧品などモノだったが、今から10年ほど前からは、「現金」になった。親類が多いので、総額もばかにならない。正月にモンゴルへ行く際には、日本のお年玉袋に、5ドル、10ドル紙幣を入れて、持っていく。
正月の新聞には、海外旅行の全面広告が、何ページにもわたって掲載されていたが、さすがにモンゴル行きはなかった。観光なんか出来ない冬のモンゴル、寒いです。
2020年1月7日火曜日
ニューイヤーコンサート in Vienna
1月2日夜、毎年NHKテレビを見る、聴く。ウイーンのニューイヤコンサート。
ずいぶん昔のことになるけれど、ニューイヤーコンサートへ行った。コンサートを聴くためだけのウイーン行き。チケットは、友人のフリッツイが、手に入れてくれた。
たしか、コンサート当日は、雪だった。会場の学友会へは、タクシーで行った。席はホールの一階の前方で、ここは、ウイーンフィルを支える会の人たちの優先席で、伯爵とか、いまだに残るオーストリアの名門家の家族で、ドレスアップ女性たち、タキシード紳士たちっていう上席。そういうこちらは、急遽、バンコックの衣装店であつらえたシルクの衣装。ウイーンに着いて、はじめ手を通した新品の衣装だった。
席について、きょろきょろすると、二回の関には、きもの姿の団体さん。日本からのツアー客だった。男性は、みな蝶ネクタイ姿だった。
指揮者のローリン・マゼールで、やっぱりいい音楽は、いいホールでないと、などと感動していた。一部が終わり、演奏者たちが舞台から退出し、二部に入り、拍手で指揮者が入場してきた、その時、舞台の下、ホール前方で、「きゃー」という叫び声。なんと、素っ裸なオトコが立っていた。「ホモセクシュアルに自由を」、と書いた布を両手で広げていた。裸なのに、首には、蝶ネクタイ。いやあ、びっくりしたけれど、面白かった。係りの男性数名に、抱きかかえられ退場。マゼールは、ニコニコしながら、第二部の演奏を開始。中止しなかったマゼールに、客席から拍手が送られた。
第二部の定番「青きドナウ」、そして「ラデツキー行進曲」では、客席参加の手拍子でコンサートは、無事終了した。あのはだかオトコ、どうなったか。
そういえば、小澤征爾さんが、ニューイヤーコンサートを指揮したのは、2002年。
こんなこともあった。ウイーンのオペラハウスで、「ワーグナー週間」といって、毎日ワーグナーの曲を演奏するというのがあった。近くのヒルトンホテルに宿泊。といってもヒルトンで一番安い部屋。ロビーのコンシェルジェのおじさんに頼み込んで、毎日、キャンセル入場券をゲットして、ワーグナーに通った。もともとキャンセルなので、安価、それに、ボックス席が多かった。5~6名の方たち、友人同士とか、家族連れとかで、飛び入りの日本人をあたたかく、まぜてくれた。
昨年4月にウイーンへ行った時は、オペレッタだった。
ずいぶん昔のことになるけれど、ニューイヤーコンサートへ行った。コンサートを聴くためだけのウイーン行き。チケットは、友人のフリッツイが、手に入れてくれた。
たしか、コンサート当日は、雪だった。会場の学友会へは、タクシーで行った。席はホールの一階の前方で、ここは、ウイーンフィルを支える会の人たちの優先席で、伯爵とか、いまだに残るオーストリアの名門家の家族で、ドレスアップ女性たち、タキシード紳士たちっていう上席。そういうこちらは、急遽、バンコックの衣装店であつらえたシルクの衣装。ウイーンに着いて、はじめ手を通した新品の衣装だった。
席について、きょろきょろすると、二回の関には、きもの姿の団体さん。日本からのツアー客だった。男性は、みな蝶ネクタイ姿だった。
指揮者のローリン・マゼールで、やっぱりいい音楽は、いいホールでないと、などと感動していた。一部が終わり、演奏者たちが舞台から退出し、二部に入り、拍手で指揮者が入場してきた、その時、舞台の下、ホール前方で、「きゃー」という叫び声。なんと、素っ裸なオトコが立っていた。「ホモセクシュアルに自由を」、と書いた布を両手で広げていた。裸なのに、首には、蝶ネクタイ。いやあ、びっくりしたけれど、面白かった。係りの男性数名に、抱きかかえられ退場。マゼールは、ニコニコしながら、第二部の演奏を開始。中止しなかったマゼールに、客席から拍手が送られた。
第二部の定番「青きドナウ」、そして「ラデツキー行進曲」では、客席参加の手拍子でコンサートは、無事終了した。あのはだかオトコ、どうなったか。
そういえば、小澤征爾さんが、ニューイヤーコンサートを指揮したのは、2002年。
こんなこともあった。ウイーンのオペラハウスで、「ワーグナー週間」といって、毎日ワーグナーの曲を演奏するというのがあった。近くのヒルトンホテルに宿泊。といってもヒルトンで一番安い部屋。ロビーのコンシェルジェのおじさんに頼み込んで、毎日、キャンセル入場券をゲットして、ワーグナーに通った。もともとキャンセルなので、安価、それに、ボックス席が多かった。5~6名の方たち、友人同士とか、家族連れとかで、飛び入りの日本人をあたたかく、まぜてくれた。
昨年4月にウイーンへ行った時は、オペレッタだった。
2020年1月5日日曜日
年賀状
1月1日、年賀状の束が届いた。一枚、一枚を読みながら、さあ、これから年賀状書き
が始まる。それにしても、賀状の切手代、63円、なんともはんぱな値段。
毎年、年賀状にシールを張って出している。今年のシールの文章は、「この程度 知力
体力 楽隠居」。シールのシリーズは、2004年から続いている。
2004年 「頑固に隠居 たまーに少しボランティア」
この年、銭湯66挑戦をしたので、結構忙しかった。
2005年 「頑固に隠居 過激に道楽これからも」
ハワイ、モンゴル、シンガポール、それからガーナーへも行った。
2006年 「隠居今年で9年め 過激に道楽」
奥の細道を歩きはじめた年。
2007年 隠居のベテラン 道楽の日々 これからも」
西国巡礼へ。
2008年 「粋な生き方これからも 道楽の日々まだ続く」
ヨーロッパ鉄道の旅、モンゴルの夏旅。
2009年 「隠居今年で12年 ゆっくり ゆったり これからも」
それほどゆったりでなかった、山陽道歩きはじめた。
2010年 「隠居今年で13年 じきに来るはず 時間切れ」
羽州街道、六十里街道など、街道歩き続く。
2011年 「今年も 日々是好日 楽隠居」
出羽三山で修行、スーダンへ行った。
2012年 「ありがたや 隠居今年で15年」
カザフスタン、ブータンへ。
2013年 「のこり世を 老足よろよろ旅の空 隠居今年で15年」
習近平登場、あまり関係ない。オリンピック東京決定。
2014年 「とめてとまらぬ隠居の旅路 やまぬはずだよ 先がない」
スペインサンチャゴ巡礼挙行、遂にやったあ。
2015年 「サンチャゴの巡礼終えて 道楽は これで打ち止め楽隠居」
のつもりだった。
2016年 「好き勝手 それでも生きてる楽隠居」
やることなくなり、大学入学。
2017年 「ありがたや 新年迎え もうちょっと」
路線バス乗り十津川線・日本最長達成。
2018年 「お正月 生きてるだけで めでたいな」
シベリア鉄道に乗った。
2019年 「めっけもん 八十すぎても 生きている」
船旅、鉄旅で韓国へ。
2020年 「この程度 知力 体力 楽隠居」
が始まる。それにしても、賀状の切手代、63円、なんともはんぱな値段。
毎年、年賀状にシールを張って出している。今年のシールの文章は、「この程度 知力
体力 楽隠居」。シールのシリーズは、2004年から続いている。
2004年 「頑固に隠居 たまーに少しボランティア」
この年、銭湯66挑戦をしたので、結構忙しかった。
2005年 「頑固に隠居 過激に道楽これからも」
ハワイ、モンゴル、シンガポール、それからガーナーへも行った。
2006年 「隠居今年で9年め 過激に道楽」
奥の細道を歩きはじめた年。
2007年 隠居のベテラン 道楽の日々 これからも」
西国巡礼へ。
2008年 「粋な生き方これからも 道楽の日々まだ続く」
ヨーロッパ鉄道の旅、モンゴルの夏旅。
2009年 「隠居今年で12年 ゆっくり ゆったり これからも」
それほどゆったりでなかった、山陽道歩きはじめた。
2010年 「隠居今年で13年 じきに来るはず 時間切れ」
羽州街道、六十里街道など、街道歩き続く。
2011年 「今年も 日々是好日 楽隠居」
出羽三山で修行、スーダンへ行った。
2012年 「ありがたや 隠居今年で15年」
カザフスタン、ブータンへ。
2013年 「のこり世を 老足よろよろ旅の空 隠居今年で15年」
習近平登場、あまり関係ない。オリンピック東京決定。
2014年 「とめてとまらぬ隠居の旅路 やまぬはずだよ 先がない」
スペインサンチャゴ巡礼挙行、遂にやったあ。
2015年 「サンチャゴの巡礼終えて 道楽は これで打ち止め楽隠居」
のつもりだった。
2016年 「好き勝手 それでも生きてる楽隠居」
やることなくなり、大学入学。
2017年 「ありがたや 新年迎え もうちょっと」
路線バス乗り十津川線・日本最長達成。
2018年 「お正月 生きてるだけで めでたいな」
シベリア鉄道に乗った。
2019年 「めっけもん 八十すぎても 生きている」
船旅、鉄旅で韓国へ。
2020年 「この程度 知力 体力 楽隠居」
2019年12月31日火曜日
テレビ漬けの年末
本日は、12月31日。明日は、1月1日、令和2年。
という昨日、一昨日、なぜか終日テレビ漬けに。
まず、12月29日
終戦スペシャル・子どもたちの戦争 「東京大空襲」
17:00~19:00 NHK
12月30日
がウデイの謎に挑む 「サグラダファミリア」
08:00~09:30 NHK
英雄たちの選択 令和で大注目 万葉集最古の歌集誕生の秘密
09:30~11:30 NHK
激動の日 2019 米・中・露
11:00~17:30 TBS
天安門事件から30年 なぜ起きた流血惨事、共産党元幹部の激白、
銃口を向けた兵士の悔恨。
17:00~19:00 NHK
激動の世界をゆく 香港、台湾の選挙戦に密着、 中国の影響は?
19:00~21:00 NHK
こんなにテレビ漬けになったのは、生まれて初めてのこと。81年間、生きてきたが、これは、まさに新記録だった。疲れて、銭湯へも行かなかった。
天安門事件の映像を見て、香港、台湾の現状を重ねると、中国共産党の実態が見えるような気がした。
東京大空襲では、子どもたちを含む10万もの人たちが殺されたこと、戦争で孤児になった子どもたちが、全国で12万もいたこと、上野駅の地下街に子どもたちが暮らしていたことなど、「戦争は、だめ、絶対にだめ」と生き残りの元戦争孤児の方(83歳)が
叫んでいた。昭和史研究家の保坂正康だんは、「戦争という状況下では、人々は、自分のことだけで手いっぱい、子どもといっても、助けるどころじゃない」と云っていた。
こうしている今、どれほどの子どもたちが、戦争の犠牲になっていることか。
新しい年も、そんなことが続くのだろう。
という昨日、一昨日、なぜか終日テレビ漬けに。
まず、12月29日
終戦スペシャル・子どもたちの戦争 「東京大空襲」
17:00~19:00 NHK
12月30日
がウデイの謎に挑む 「サグラダファミリア」
08:00~09:30 NHK
英雄たちの選択 令和で大注目 万葉集最古の歌集誕生の秘密
09:30~11:30 NHK
激動の日 2019 米・中・露
11:00~17:30 TBS
天安門事件から30年 なぜ起きた流血惨事、共産党元幹部の激白、
銃口を向けた兵士の悔恨。
17:00~19:00 NHK
激動の世界をゆく 香港、台湾の選挙戦に密着、 中国の影響は?
19:00~21:00 NHK
こんなにテレビ漬けになったのは、生まれて初めてのこと。81年間、生きてきたが、これは、まさに新記録だった。疲れて、銭湯へも行かなかった。
天安門事件の映像を見て、香港、台湾の現状を重ねると、中国共産党の実態が見えるような気がした。
東京大空襲では、子どもたちを含む10万もの人たちが殺されたこと、戦争で孤児になった子どもたちが、全国で12万もいたこと、上野駅の地下街に子どもたちが暮らしていたことなど、「戦争は、だめ、絶対にだめ」と生き残りの元戦争孤児の方(83歳)が
叫んでいた。昭和史研究家の保坂正康だんは、「戦争という状況下では、人々は、自分のことだけで手いっぱい、子どもといっても、助けるどころじゃない」と云っていた。
こうしている今、どれほどの子どもたちが、戦争の犠牲になっていることか。
新しい年も、そんなことが続くのだろう。
2019年12月26日木曜日
クリスマスカード
クリスマスカードが、8通届いた。こちらから一通も出していないので、毎年、数が減っているが、それでも、律儀にくれる友人たちがいる。
そのひとり、イスラエルのヌザット・カザッフだ。彼女との関係は、旧い。一番はじめに会ったのが、1961年だった。ノルウェーのベルゲン。アジア・アフリカの青年たち20名くらいだったか、ノルウェーの労働党の招待でよばれたチームで、ヌザっトはイスラエル代表だった。帰国後も、カード交換はしていたが、そのうち、不通に。ところが、1968年にはじめてのイスラエル、留学したわたしに、突然やってきた彼女、「イスラエルで会えるなんて」、と驚かした。
ヌザットは、エチオピアからのユダヤ人で、顔かたちは、アラブ系で、旦那のルーベンも、髭のアラブ男性。彼女は、ヒストダルートと呼ばれた労働組合組織のアラブ女性局の局長、旦那は、新聞局の局長だった。その後、ヌザットは、クネセット(国会)の議員になり、イスラエル国会で、主に消費者問題で活躍した。
留学後も、なぜか、公私にわたり、イスラエルをなんども訪問する機会があり、その都度、会いつづけた間柄。こちらが引退、隠居してからも、3、4年にいちどは、会ってきた。夫妻で、日本にきた時もあった。たしか、世界消費者大会が東京で開催された時、旦那同伴での来日で、浅草の寿司屋に招待したが、その時、旦那がナマのさかながダメなことをはじめて知った。かんぴょう巻きをもくもく食べながら、ヌザットと日本の友人が、
おしゃべりに熱中している様子を、楽しそうに、ニコニコ、聞いていた。
その旦那、ルーベンが病気と聞いて、イスラエルへ。2001年1月。自宅療養中で、意識はしっかりしていたが、フィリピン人の介護師女性がきていた。ヌザットは、自宅の一部屋を事務所にして、アラブ人の女性たちの相談役をしていた。中東情勢が収まらず
アラブとの問題を抱え続けるイスラエル国内で、さまざまな困難を抱えるアラブ系の女性たちの相談相手をしている。
楽隠居を決めて、日々を暮らしている自分、これでいいのか、ちょっとだけ考えた。
そのひとり、イスラエルのヌザット・カザッフだ。彼女との関係は、旧い。一番はじめに会ったのが、1961年だった。ノルウェーのベルゲン。アジア・アフリカの青年たち20名くらいだったか、ノルウェーの労働党の招待でよばれたチームで、ヌザっトはイスラエル代表だった。帰国後も、カード交換はしていたが、そのうち、不通に。ところが、1968年にはじめてのイスラエル、留学したわたしに、突然やってきた彼女、「イスラエルで会えるなんて」、と驚かした。
ヌザットは、エチオピアからのユダヤ人で、顔かたちは、アラブ系で、旦那のルーベンも、髭のアラブ男性。彼女は、ヒストダルートと呼ばれた労働組合組織のアラブ女性局の局長、旦那は、新聞局の局長だった。その後、ヌザットは、クネセット(国会)の議員になり、イスラエル国会で、主に消費者問題で活躍した。
留学後も、なぜか、公私にわたり、イスラエルをなんども訪問する機会があり、その都度、会いつづけた間柄。こちらが引退、隠居してからも、3、4年にいちどは、会ってきた。夫妻で、日本にきた時もあった。たしか、世界消費者大会が東京で開催された時、旦那同伴での来日で、浅草の寿司屋に招待したが、その時、旦那がナマのさかながダメなことをはじめて知った。かんぴょう巻きをもくもく食べながら、ヌザットと日本の友人が、
おしゃべりに熱中している様子を、楽しそうに、ニコニコ、聞いていた。
その旦那、ルーベンが病気と聞いて、イスラエルへ。2001年1月。自宅療養中で、意識はしっかりしていたが、フィリピン人の介護師女性がきていた。ヌザットは、自宅の一部屋を事務所にして、アラブ人の女性たちの相談役をしていた。中東情勢が収まらず
アラブとの問題を抱え続けるイスラエル国内で、さまざまな困難を抱えるアラブ系の女性たちの相談相手をしている。
楽隠居を決めて、日々を暮らしている自分、これでいいのか、ちょっとだけ考えた。
2019年12月22日日曜日
本日は、冬至
あらいやだ 向うがまる見え 冬木立 読み人知らず
朝の散歩コースの枯葉も、ほぼ落ちて、木々は裸(はだか)姿になり、ああ、冬到来か・・・
本日は、冬至。ゆず湯の日。ゆずって漢字で書くと「柚子」。ご近所銭湯でも、ゆず湯
になり、しかも、風呂代が230円、いつもの半額になる。だから、混む。ゆずがプカプカ浮いている風呂に入ると、あったまる。ま、無病息災に効果あり。
昼の時間が一年中で、いちばん短い日。日の入りが4時48分、日の出が6時28分。夏は、おてんとうさんが、まだ明るいうちに風呂に入っていたのが、今は、行きも帰りも真っ暗。そうそう、明日は、かぼちゃを食べなくちゃあ、など、風呂友たちが、昨日、話していた。
あとは、クリスマス。でも、ほぼ関係ないな。そして、お正月。
正月になっても、きょうびは、凧あげない、独楽まわさない、正月。あの「もういくつ寝ると、お正月」って唄は、滝廉太郎がつくったんだって。
好きな歌に「冬の夜」ってのがある。
燈火(ともしび)ちかく 衣(きぬ)縫う母は 春の遊びの楽しさ語る。居並ぶ子ども
は指を折りつつ 日数(ひかず)かぞえて喜び勇む
ほんものの俳句、一句。
ともかくも あなたまかせの 年の暮 一茶
朝の散歩コースの枯葉も、ほぼ落ちて、木々は裸(はだか)姿になり、ああ、冬到来か・・・
本日は、冬至。ゆず湯の日。ゆずって漢字で書くと「柚子」。ご近所銭湯でも、ゆず湯
になり、しかも、風呂代が230円、いつもの半額になる。だから、混む。ゆずがプカプカ浮いている風呂に入ると、あったまる。ま、無病息災に効果あり。
昼の時間が一年中で、いちばん短い日。日の入りが4時48分、日の出が6時28分。夏は、おてんとうさんが、まだ明るいうちに風呂に入っていたのが、今は、行きも帰りも真っ暗。そうそう、明日は、かぼちゃを食べなくちゃあ、など、風呂友たちが、昨日、話していた。
あとは、クリスマス。でも、ほぼ関係ないな。そして、お正月。
正月になっても、きょうびは、凧あげない、独楽まわさない、正月。あの「もういくつ寝ると、お正月」って唄は、滝廉太郎がつくったんだって。
好きな歌に「冬の夜」ってのがある。
燈火(ともしび)ちかく 衣(きぬ)縫う母は 春の遊びの楽しさ語る。居並ぶ子ども
は指を折りつつ 日数(ひかず)かぞえて喜び勇む
ほんものの俳句、一句。
ともかくも あなたまかせの 年の暮 一茶
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